あれこれいろいろ

明治時代の芸能統制理念 「芸能取締り三か条」

天保の改革(1841~1843)で厳しい芸能統制が行われた後、老中水野忠邦が失脚すると、芸能は束の間の自由を取り戻します。しかし1868年に明治新政府が成立すると、また芸能統制が始まっていきます。

まず明治3年(1870年)の「大教宣布の詔」が明治政府のイデオロギーの基本になり、天皇を神とする神道を国教とし、日本を惟神(かんながら)の大道による祭政一致の国とし、国家神道を全国に布教する体制が示されます。これは旧来のアニミズム的神道と一線を画し、新宗教の創設とその布教宣言とも言える内容でした。

明治5年(1872年)4月になると、上の内容をさらに具体的にして、教部省は国民教化の基本として、敬神愛国、天理人道、皇上奉戴を内容とする「三条の教憲」を布達しました。

三条の教憲

第一条 敬神愛国ノ旨ヲ体スヘキ事

第二条 天理人道ヲ明ニスヘキ事

第三条 皇上を奉戴シ朝旨ヲ遵守セシムヘキ事

そして同年8月、上の三条の教憲を芸能の面で具体的にした「芸能取締り三か条」が布達されました(青色の現代語訳は私です)。

芸能取締り三か条

一 能狂言以下演劇ノ類、御歴代ノ皇上ヲ模擬シ、上ヲ褻瀆シ奉リ候体ノ儀無之様、厚ク注意可致事(能狂言以下演劇のたぐいは、歴代の天皇を模擬して、お上をおとしめ冒涜するようなことがないよう、厚く注意すべきこと)

一 演劇ノ類、専ラ勧善懲悪ヲ主トスヘシ、淫風醜態ノ甚タシキニ流レ、風俗ヲ敗リ候様ニテハ不相済候間、弊習ヲ洗除シ漸々風化之一助ニ相成候様、可心掛事(演劇のたぐいは、内容はもっぱら勧善懲悪を主とすべきで、淫らで醜く流れたり風俗を乱すようであってはならず、悪しき風習を洗い流して取り除く助けとなるように心掛けなければならないこと)

一 演劇其他右ニ類スル遊芸ヲ以テ、渡世致シ候モノヲ制外者杯ト相唱候従来ノ弊風有之、不可然儀に候条、自今ハ身分相応行儀相慎ミ営業可致事(演劇その他これに類似する芸で身を立てる者を体制外と者と言う悪風があったが、これは正しいことではないので、こりより以後は、身分相応に行儀を慎んで営業すべきこと)

このようにして、明治5年に芸能統制の基本理念が固まりました。

芸能はもはや歴代天皇に不用意に触れることはできず、芸能の内容は国が認めるように道徳的に正しくなければならず、芸能者は体制外の者ではないので身分相応に統制されなければならない、ということになったわけです。

この三か条の最後の条項について、被差別階級とされてきた芸能者の地位を正当に確認した画期的な内容と評価する論考もあるそうですが、むしろ、体制外の者として法の外にあったような旧来のあり方を否定して、体制内の者として完全に統制が及ぶことを明示して支配を確立することに、この条項の真意があるように思われます。