海を渡った小型ギターたち

奴隷貿易におけるアフリカ楽器の移動

15世紀半ばからポルトガルによる奴隷貿易が始まり、17世紀以降、オランダ、イギリス、フランスが加わり、19世紀までに、1200万人から2000万人ものアフリカ人が南北アメリカ大陸に運ばれました。アメリカ大陸に着くまで約5週間に及ぶ航海は過酷をきわめ、多くの死者が出ました。航海中の死亡率は8~25%に及び、その死因は自殺、病気、奴隷貿易業者による処刑など。

奴隷貿易業者は、航海中の自殺などを防ぐために、船上で音楽を奴隷たちに強制したそうです。18世紀末の記録には次のように書かれています。

「奴隷たちは食事が終わると、音楽や踊りで気晴らしをさせられた。その気晴らしのために、出航前にアフリカで使われている粗末な楽器が集められた」

それらの楽器は、南北アメリカ大陸に散らばり、アメリカに撒かれたアフリカ音楽の種となったことでしょう。奴隷貿易業者の善意などはかけらもありませんが、それでもそれは後のアフロアメリカ音楽の種のひとつとなったことでしょう。

ユダヤ人のホロコーストの際には、数少ない手荷物にヴァイオリンを入れて、強制収容所に向かう列車に乗った人々がいたことが知られています。

戦争や迫害から逃れた難民とともに楽器が移動したり、干ばつや飢饉による移民によって楽器が移動したり、強制移住によって楽器が移動したり、楽器と音楽が人類の涙とともに移動することが多かったのは否定しようもない事実。

悲しみのときこそ音楽が切実に必要とされたという面もあったかもしれません。悲しみの中で撒かれた種は、善意のかけらもないような荒れ果てた大地にも少しずつ芽を出し、悲しみを癒しながら不毛の大地を緑に変える力はあったことでしょう。

しかしやはり、楽器は涙ではなく笑顔とともに移動し、そこに楽しい花を咲かせるという人類文明であってほしいと思います。

参考文献・アフリカの音の世界 塚田健一著

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