民謡は喉を広げて声を張って甲高く(かんだかく)歌います。これを「甲(かん)に唄う」と言います。
たとえば細川たかしの次の津軽山唄などは、「甲に唄う」の名人芸といったところでしょうか。
それに対して、小唄は喉を絞って、わるい声で唄う、それを「乙に唄う」と言います。わるい声と言っても本当に悪い声ではありません。ある種の味わい・人間関係の滋味を含んだ表現です。そして乙な歌声には、バチを使わず人差指のつま弾き(肉引き)で小さく鳴らす三味線の音が寄り添います。伴奏もやはり乙な弾き方になるわけです。
小唄を「乙」に唄うことについては下の動画でも解説されていますが、その理由を簡単に言えば、四畳半などの小さなお座敷で芸者と客の1対1の酌み交わし、という場面で育くまれた音楽だからです。
現在の日本人は、小さな美しさやたたずまいを前に、「乙だねえ」とつぶやく感性を持っていますが、その感性の背景には、三味線と唄が小さく鳴るお座敷風景も関係していたわけです。
音楽は、演奏空間の大きさと聴衆数に合わせてどんどん変化し、世界の音楽の歴史は大規模化・大音量化する方向が趨勢でした。その趨勢の中にあって、「四畳半の1対1」と、考えられる中でも最小単位の音楽が生まれて継承されたのは、かなり珍しく貴重なことと思います。
視点を現代に移し、コンピューター上の音楽表現を考えると、演奏者が小さな部屋で演奏し、聴く人も自分の小さな部屋で聞き、コメントで簡単な言葉のやり取りもできたりして、「四畳半の1対1」的な「ちょっと乙な視聴空間」が、視聴数の数だけたくさん生まれているのかもしれません。とすると、これからは、小さなオトで「乙に唄う」「乙に演奏する」という感性が、またクローズアップされてくる可能性もありそうです。