ソン・ハローチョというメキシコの音楽は、様々な文脈で語られるようです。私が読んだ範囲では、次のようなものがありました。
① メキシコの農民の古くからの祝祭の音楽という文脈
村の人々が集まって、演奏し、歌い、踊って、楽しみ、祝ってきたという最も素朴な側面です。ファンダンゴの音楽です。
➁ メキシコ国内の植民地主義的なものに対する抵抗という文脈
白人優越的な考え、差別的な出来事に対する抵抗の音楽として、ソン・ハローチョが語られることがあります。黒人とアメリカ先住民につながるものを音楽にも見出すようです。
③ 差別以外にも広がる様々な問題に対する抵抗の音楽という文脈
メキシコ国内に広がる暴力、麻薬、殺人、DV、ジェンダーなど、あらゆる病理に対抗する音楽として語られることがあるようです。
④チカーノ運動(メキシコ系アメリカ人の公民権運動)の音楽という文脈
メキシコ系アメリカ人はアメリカ合衆国最大のマイノリティー集団で、その抑圧された歴史に対する権利主張として1960年代の公民権運動で中でチカーノ運動が生まれ、民族的アイデンティティとしてソン・ハローチョが語られることがあるようです。
⑤ 商業音楽としての文脈
商業音楽の中で伝統を再認識しようというムーブメント(ハラネロ運動、楽器としてハラナを使うことから来た名前)と、逆に新しい形を模索しようというムーブメントと、両方があるようです。
ソン・ハローチョが多様な文脈で語られるのは、16世紀から始まる植民地支配と奴隷貿易から派生している傷口を癒すものとしてソン・ハローチョが期待されているのでしょう。
音楽に対するこのような姿勢は、中南米全体に広く存在するものかもしれません。
その癒やしの力の基礎は、メキシコ人が最も自然にひとつになることができる、①の最も素朴な平和な楽しい文脈のところにあるように思います。