あれこれいろいろ

クロンチョンその5 ミックス音楽

インドネシアの大衆音楽クロンチョンの歴史は、様々な民族、文化、楽器のミックスの歴史です。

ポルトガル人の音楽が16世紀にインドネシアに入ってきたのがクロンチョンの始まりなので、まずはポルトガルとインドネシアの音楽のミックスです。ポルトガル人とインドネシア女性との間の混血児ムスティーサもたくさん生まれます。

そのポルトガルは、長くイスラム王朝の支配下にあり、地中海をはさんで北アフリカの民族も流入しているので、ポルトガルのリズム、旋律、楽器には、アラブ音楽と北アフリカの音楽が元々ミックスされていました。

ポルトガル人がインドネシアに船できたとき、航海途中の地域から、アフリカ人、インド人、セイロン人、マレイ人なども、奴隷や家事使用人などとしてやって来ました。それらの人たちの多くはキリスト教に改宗して自由人になって働き、やがて結婚して家庭を持ち商業地域にも住むようになり、マルディーカと呼ばれるアフリカ的、アジア的、ヨーロッパ的という異国情緒あふれる人々としてインドネシアに広がりました。またポルトガル人とそれらの人々との混血も生まれました。それらの人たちは、ポルトガルの支配が終わってオランダ支配に変わった後もインドネシアに残り、ジャカルタ市街の北東部にあるトゥグーに村落を作り、ポルトガルへの郷愁を胸に、ポルトガルの言葉、衣装、風俗、音楽を維持し、自らの手でクロンチョンギターを作り、初期のクロンチョン音楽を代々歌い続けました。こうして、アフリカやアジア各地の音楽とポルトガルの音楽とインドネシアの音楽がトゥグーという樽の中でミックスされじっくり発酵しました。

時が流れ19世紀初頭になると、ハワイ音楽がインドネシアに入って来て大流行し、ウクレレがチュックとしてクロンチョンに取り込まれ、スチールギターも入ってきたりしました。こうして西洋音楽がミックスされたポリネシア音楽も流入します。ウクレレは元々ポルトガル領マデイラ島からハワイに渡った楽器なので、別経路を通って少し色合いのちがうポルトガルの要素が再流入したことも見落とせません。

チャックの元になったバンジョーは、アフリカ系アメリカ人から生まれて、アメリカの民衆音楽の要素を持つ楽器です。

このように、クロンチョンは、ミックス粉で作ったホットケーキのようなものです。ミックス粉は、誰にでも扱いやすく、ふかふか、もちもちに焼きあがるのがよいところだそうで、クロンチョンの聞きやすさに通じるような気もします。

世界にはこんな音楽のミックスが起こりやすい場所がいくつかあるように思います。スペインやポルトガルは、キリスト教圏、イスラム教圏、北アフリカの音楽がミックスされました。中南米では、スペインやポルトガルの音楽にインディオとアフリカの音楽が混ざりました。ハワイではポルトガル音楽とポリネシアのリズムとプロテスタント系教会音楽やメキシコのヴァケーロから来たギターなどが混ざりました。こうした混血音楽には独特の力があるような気がしています。

どういう環境と条件でそういう音楽のミックスが起こるのか? そうしてうまれた音楽は時間軸空間軸にどんな軌跡を描き出すのか? そういう音楽は人と社会にどんな影響を与えるのか? などということもこのブログで注目しているテーマです。

参考・インドネシア音楽の本 田中勝則著 ウイキペディア その他