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騒音音楽 ルイジ・ルッソロ

騒音を音楽にしたのは、イタリアの未来派作曲家ルイジ・ルッソロ(Luigi Russolo)。ルッソロは、1913年に「イントーナルモリ」と言う名の、エンジン音、機銃音、ガラス音等のノイズを発する騒音楽器を発明して、音楽の境界線をノイズにまで押し広げました。これは、シェーンベルクの無調、ストラヴィンスキーのリズムの解放に並ぶ、1910年前後に起きた音楽史上の革命のひとつと言われています。それはこんな音楽です。

1913年と言えば、第一次世界大戦が起きる前年で、日常の中に機械力があるようになり、鉄道、船舶、自動車、飛行機、電力、大工場、エンジン、圧倒的な速度とパワーなど、現代を支える要素が出そろった時代。1909年にイタリアのマリネッティが発表した有名な「未来派宣言」には、『……機銃掃射をも圧倒するかのように咆哮する自動車は、《サモトラケのニケ》よりも美しい。……』という一文があるように、世界に広がる圧倒的な機械力は、翼の生えた勝利の女神も凌駕するように思えた時代であったのです。ちなみにサモトラケのニケとは、翼のはえた勝利の女神ニケが空から船のへさきへと降り立った様子を表現したヘレニズム期の彫像です。☟

この未来派宣言のような見方からすれば、機械騒音こそは新時代を作る女神の歌声。これを音楽にするのは当然だったことでしょう。

音楽の起源について、環境音を模倣することで音楽が生まれたという模倣説がありますが、環境の中に機械音がいつもあるようになれば、その音を模倣するようになるのは必然だったのかもしれません。機械音を「騒音」と書くと、「騒がしい=不快」というイメージになりますが、機械音がいつも騒がしかったり不快だったりするわけではありません。夜中に遠くから聞こえてくる電車音や朝のしじまに聞こえてくるエンジン音など、時に静けさを際立たせることもありますし、平和な日常にいつも存在した機械音は、平和を象徴する音として感じられるようにもなるでしょう。

機械のパワーやスピードをただ手放しに称揚することには、二度の大戦等の現代戦や環境破壊という経験の後には、もう未来派宣言ほどには素直になれません。しかし、機械やAIは今後も環境にあり続けることに違いありませんから、その環境機械音を心地よさの象徴にするのか、苦しみの象徴にするのかは、私たちの選択次第ということになるのでしょう。

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