音楽取調掛の監事、東京音楽学校教授として、明治日本の音楽教育の中枢にいた人物の一人に、神津專三郎(1852 1897)氏がいます。「音楽利害」が代表的な著作。
神津氏は、雑誌「国家教育」において、次のように日本民間音楽観(俗楽観)を述べています。(青色の現代語訳は私です)
「今日我俗間ニ流行スル淫 ノ詞章ハ狂色,道行,姦通,欠落,情死等ノ淫奔卑褻ヲ述べ其曲調聲節モ淫靡ヲ極メ加フルニ手振身振ヲ以テ其情勢ヲ逞ウセザルナシ然ルニ我ガ邦從來ノ習俗タル子弟兒女ノ家富有ナル者ハ固ヨリ言フニ及バズ其家貧ニシテ學校教育ヲ受クル能ハザル者モマタ此淫楽ヲ學習セザルハナシ然レバ即チ淫楽ノ普及セルハ普通教育ヨリモ更ニ廣大ナル有様ニテ全國致ル處市街トシテ淫聲ヲ聞カザルナク演劇演伎ノ場トシテ之ヲ見ザルハナシ…(今日、日本の民間に流行する音楽の淫らな歌詞は、色狂い、男女の道行、姦通、欠落、情死などのひどくみだらで卑しいことがらを扱い、その曲調も淫靡を極めており、さらに手振りや身振りで誇張しないものはない。我が国の裕福な家の児女も、貧しくて学校教育を受けることができない者も、この淫らな音楽を学習しない者はなく、淫楽が普及している様子は、普通教育よりも一層広大な有り様である、全国いたるところあるゆる市街で淫らな音楽を聴かないところはなく、演劇等の場でこれを見ないところはない)」
このような現状認識に立って、「今日ノ風俗ヲ矯正セントセバ宜ク先ヅ淫風ノ本源即チ淫楽ヲ撲滅セザルベカラズ…(今日の風俗を矯正しようとすれば、この淫らな風潮の根源である淫らな音楽を撲滅しなければならない)」と結論付けます。
当時の日本の音楽教育の中心は、「東京音楽学校」なのですが、東京音楽学校は上記のような認識を共有しながら、「卑猥な俗曲の追放・善良で雅正な歌曲を普及するための俗曲改良・唱歌教育を行う教員の養成」という、正しい音楽の普及と悪しき音楽の追放という音楽統制を理想として進んで行きます。
淫楽の撲滅と統制された音楽に音楽の理想を見た時代が、そんなに遠くない時代の日本にあったことを考えると、現在音楽が自由な社会になっていることは幸せなことだとあらためて感じます。
(なお、音楽を取り巻く時代精神の変遷を述べるのがこの記事の趣旨で、個人を非難しようとするものではありません)