ザビエルとフェルナンデスは、1551年から山口において布教を開始すると、ほどなくしてある重要な日本人と出会います。その者は洗礼名ロレンソ了斎と言い、盲目の琵琶法師でした。日本では有名ではありませんが、宣教師の記録や報告に頻繁に登場する人物です。
ロレンソ了斎は、将軍足利義輝、織田信長、豊臣秀吉、小西行長、高山図書、三好長慶など、名だたる人物に謁見し、身分を問わず日本人の心に届く言葉でキリスト教を説いて親しく交わり、比叡山や延暦寺などの僧とも明晰な論理で宗論を戦わせ、九州各地に伝道しては人を惹きつけ、有力者との重要な交渉事も担い、という具合で、ザビエル、フロイス、アルメイダ、オルガンティーノなど、数多くの宣教師と共に伝道を担いました。ロレンソ了斎以後、盲目の琵琶法師が洗礼を受けて伝道に入る人も生まれてきます。
ペドロ・デ・アルカソヴァはロレンソ了斎について、次のように書いています。
「会には一人の日本人がおり、わずかの視力しかないのだが、神のことがらをよく覚えており、パードレにとって大いなる助けとなっていた。なぜならパードレは何か真剣な議論をしようとするときすぐに彼を呼び、そして彼が十分な認識とわかりやすい表現を会得すれば、パードレは彼に日本人たちに対し説明させるのである」
フロイスは次のように書いています。
「彼は人並み優れた知識と才能と恵まれた記憶力の持ち主で、大いなる霊感と熱意をもって説教し、非常に豊富な言葉を自由に操り、それらの言葉はいとも愛嬌があり、明快、かつ思慮に富んでいたので、彼を聞くものはすべて共感した」
また宣教師たちの多くが共通して彼を次のように評したということです。
「視力が余りなかったが、神から照らされている」
音楽体験を豊富に有する琵琶法師が伝道の極めて優秀な担い手になったことには、それなりの理由があるように思われるのですが、それはまた次回に。
参考・イルマン・ロレンソ了斎