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日本に初めて上陸した西洋楽器の記録

ポルトガル人による種子島への鉄砲伝来は1543年。この時来たポルトガル人は、中国のジャンク船に乗って漂着し、楽器を運んできた形跡は特にありません。

6年後の1549年、ザビエル(1506~1552)が鹿児島に上陸し、この時も中国の船(海賊船)でやって来ましたが、楽器積載の記録は特になし。

翌1550年、マラッカのポルトガル総督シルヴァがザビエル宛に日本国王への贈り物にするための品々を平戸に送り、ザビエルが受け取ります。ザビエルは、当時西の都として栄えていた山口を中心に布教をすることに決めて、1551年、山口の大名大内義隆に謁見し、シルヴァから受け取った品物の中から数点を献上。「大内義隆記」にその記録があり、

「天竺仁ノ送物様々ノ中ニ…(略)…十三ノ琴ノ糸ヒカザルニ五調子十二調子ヲ吟ズル…(略)…カカル不思議ノ重宝ヲ五サマ送ケルトカヤ」

という記載があり、これが西洋楽器が日本に来た最初の記録ということになります。

さてこの「十三ノ琴ノ糸ヒカザルニ五調子十二調子ヲ吟ズル」楽器とは何かなのですが、数字の記載に引っ張られて、「12音を5段に発する13弦の楽器か」など、様々な解釈がされたそうですが、十三の琴とは日本の十三弦の琴のことで、五調子十二調子とは日本の五声・十二律のことで、要するに「日本の十三弦琴のように直接琴をはじいて弾かなくても様々な音が出る楽器」という程度の意味というのが現在の一般的な理解です。

では具体的には何の楽器なのかですが、イエズス会宣教師ヴァリニャーノ(1539~1606)は「東インド・イエズス会発展史」において、「クラヴィコード」と書き、イエズス会の通訳・会計担当者のロドリゲス(1561~1633)は「日本教会史」において、「マニコルディオ」と書いています。ヴァリニャーノはポルトガル人、ロドリゲスはイタリア人なので、表現は異なりますが、同じ楽器のことで、その後のイエズス会の文書類にクラヴォ(cravo)という名前で出てくるもので、弦をタンジェントと呼ばれる金具で突き上げることで発音する箱型の鍵盤楽器です。日本ではクラヴィコードの名前で呼ばれることが多いようです。

ウイキペディア クラヴィコード

次の動画でクラヴィコードの概説がされています。☟

古いクラヴィコード(イタリアの16世紀末から17世紀初めころのもの)の音はこんなです。☟

この楽器がザビエルから大内義隆に送られた史実にちなんで、1995年、山口市は、大内氏の家紋「大内菱」とザビエルの紋章を施したチェンバロを製作し、これを使って毎年コンサートを開いているそうです。クラヴィコードは弦を下から打つことで発音し、チェンバロは弦を引っ掛けることで発音するので、楽器としては異なるのですが、歴史的には関連があるということでチェンバロが製作されたのだそうです(18世紀フレンチモデル 2段鍵盤 音域5オクターブ 楽器製作者・佐藤裕一 装飾・高倉由美子)。☟