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キリシタン琵琶法師たちの活躍

キリシタンの伝道に活躍した琵琶法師には、名前が確認できる人だけでも、ロレンソ了斎、ジョセイフ、ミゲル、マンシオ、ギュウイチ・アンドレア、ショウイチ・ホアキンなどの名を挙げることができます。

かれらが伝道師として有能だった理由は、なんと言っても琵琶法師が物語を語り伝えるプロだったということにあるでしょう。聖書も平家物語も、様々な場面に印象的な物語が豊富にあって、それらを綴り合わせる中から宗教的な感興が生まれてくるという構造が良く似ています。琵琶法師は、聖書という一大叙事詩を語り伝えるのにうってつけのプロ中のプロだったわけです。

また琵琶法師は、身分は低いですが教養が非常に高く、日本の古典や宗教の豊富な知識を有し、それらの知識と対照しながらキリスト教をより深く理解することができたようです。そしてそれを誰にでも理解できるよう嚙み砕いて、芸術性と娯楽性の形に再構成するスキルも持っていました。聖書の言葉を、わかりやすく芸術性の高い品格のある韻文に翻訳することにも活躍し、日本人の感性と音楽性になじませながらキリスト教を人々に浸透させることができたようです。

それから、琵琶法師は、生い立ちと職業柄、大変優れた記憶力を持っていたようで、短期間のうちに聖書の膨大の知識を正確に記憶することができたことも、大きな力になったようです。

そしてもうひとつ外せないポイントは、琵琶法師が、身分や職業のちがいを超えてどこにでも入っていくことができたという、中立的な地位があげられます。貧しい農民にも豪商にも大名にも、芸能者として同じスタンスで接することに慣れていて、日本社会全体もそれを許容していたことは、あらゆる階層の境界線を超えて行くパスポートを持っていたようなもので、伝道に大変有利に作用したことでしょう。

これらの詳細な中身については、次の論文「キリシタン布教における琵琶法師の役割について(ホアン・ルイズ・デ・メディナ)」に詳細に書かれています。

キリシタン布教における琵琶法師の役割について

このような琵琶法師の能力は、イエズス会の宣教師たちにも認識されていて、積極的に琵琶法師を伝道の資源として活用していたようです。

たとえば、ルイス・フロイスは、琵琶法師について「われわれのいくつかの教会でも、彼ら(琵琶法師)がキリシタンになった後は役立っているが、それは(以前とは)ちがった目的のためで、村々にキリスト教の教義を教えに行き、異教徒らに説教をし、キリシタンに聖人の生涯と神のことがらを語ることである」と記しており、またフランスシスコ・パシオは、「1593年の9月以来、関白殿が都に戻られたので、より自由があると見て取り、役目のあるキリシタンを特別に教育しはじめた。…幾人かの盲人を教育して、日本でよくあるように虚しい物語を伝える代わりに、これらの盲人が改宗後の今常に伝え歌うのは、キリスト教の教義の師としてであり、それは村々で教えられる」と書いています。この1593年というのは、もう最初の禁教令(バテレン追放令)が出たあとであり、宣教師は追放後の伝道を琵琶法師たちに託そうとしたのかしもれません。

これらのキリシタン琵琶法師たちが、どのようにキリスト教の説教をしたのか、その中に音楽性がどの程度取り入れられていたのか、そこに琵琶が使われることもあったのかなど、具体的なことは残っていませんが、琵琶法師による音楽性のあるキリシタン伝道が存在した可能性は高いようです。そのキリシタン琵琶法師音楽語りを是非聞いてみたいですが、歴史のかなたに消えた音楽を再生する機械がほしいものです。

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