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ヨーロッパ巡礼の歌声と日本の神社参りの歌声と 道中唄

11世紀以降に整備されたヨーロッパ内の巡礼の道は、巡礼者の歌声と楽器が響き、歌と楽器の移動交流経路にもなったのではないか、ということを昨日書きました。

日本でも、江戸時代になって安全な街道が整備されると、伊勢参り、金毘羅参りなど、長距離移動を伴う神社詣が盛んになります。するとそこにはやはり道中唄というものが生まれるようで、にぎやかな楽しい歌が今に伝わっています。

まずは、伊勢参りの伊勢音頭(冒頭の絵は伊勢参りのにぎわいの様子)。日本中から三重県の伊勢神宮に集まった人々が伊勢に宿泊したときに歌い覚えたものを故郷に戻ってからも歌ったことで、全国に広まったとのことです。まさにお参りの道が歌の移動経路となった例。14世紀のカンタベリ物語でも、巡礼宿における出会いから広がる交流が描かれていますが、「巡礼宿」というものの文化交流起点としての意義は大きかったようです。

次は香川県の金毘羅大権現参りの道中唄、金毘羅ふねふね。その起源は明確ではありませんが、元禄の頃に金毘羅参りの起点となる大阪港から唄い出されたとも言われます。

それから宮崎県ではしゃんしゃん馬道中唄もあります。これは誰もが行く巡礼というわけではなく、婚礼に伴い、花嫁を乗せた馬を花婿が引いて、七浦七峠を越えて二日二夜をかけて鵜戸神社参りをしたときの歌だそうです。

洋の東西を問わず、お参りの道は、歌の道にもなったのですね。それらの歌は歩く速度に合わせて調子も取りやすく、陽気で、合いの手を入れて盛り上がりやすくできているように思います。日本でこれだけ残っているのですから、ヨーロッパ各地にも探せば道中唄はいろいろ発見され得るのかもしれません。

ちなみに余談ですが、ヨーロッパの巡礼のあかしとしてヨーロッパ中でたくさん見つかるのは、巡礼先から持ち帰ってくる巡礼バッヂだそうで、下の絵の人も、服にたくさんバッヂを付けています。板屋貝の形はサンティェゴ・デ・コンポステーラに巡礼したときのバッヂ。ほかにも性器を模した巡礼バッヂもたくさんあります。澁澤龍彦は、貝の形の方も性的な意味合いがある可能性があり、女性に凝集された聖なる力、女性器、再生などのシンボルとして貝を紹介しています。テムズ川なとヨーロッパの川を浚うと、これらの巡礼バッヂがよく出てくるので、巡礼の広がりがわかるそうです。