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カレワラにおける、ものの起源を知るパワー

フィンランドの叙事詩カレワラは歌う呪文が織りなす世界。

カレワラを読んでいると、「ものごとの起源を知る」ことが、そこに登場する歌(呪文)の力の源泉らしいということがだんだんわかってきます。

カレワラの主人公、まことの魔術師ヴァイナモイネンは、「物事の起源を語る歌を夜も昼も次から次へと歌い続けても尽きることがないほどたくさん知る」者として登場します。

またヴァイナモイネンが鉄の斧による傷を負ったときには、止血しようとする老呪術師は、「鉄の起源の言葉がいる。その言葉が鉄のしわざを打ち消すことができる」と言います。「物事の起源が明らかになると、悪事は勢いを失い、効力も失う、だから鉄の起源がわかれば、斧による傷を治すことができる」のです。そしてヴァイナモイネンが鉄の起源を語り聞かせると、老呪術師は、「よし、鉄の起源がわかった」と叫び、「血よ壁のように動くな。水に生えるスゲのように止まれ。急流の中のように静止しろ…」等と呪文を唱え、血を止めることに成功します。

それから、蛇が刺さったレンミンカイネンは、蛇の呪文を知らないことで一度死にますが、母の力で復活し、母から蛇の起源を教えられて、蛇の魔力を消す呪文で蛇を退けることができるようになります。

ヴァイナモイネンが船を歌い出すのに足りない呪文を完成させるために、黄泉の国まで旅をし、黄泉の国にいるアンテロ・ヴィブネンンから遠い昔のものの起源の正確な知識を聞き出して、ようやく船を歌い出す呪文を完成させます。

このように、カレワラでは、「ものの起源を知る」ことが力の源泉で、それは創造する魔法であり、消す魔法であり、戦う魔法であり、癒す魔法です。この「知」と「呪」の結合というところがミソで、どちらか一方だけに偏りがちだった人類史の中では、なかなか傑出した思想なのでは、と思ったりするのです。

このブログで楽器の起源や音楽の起源をたどる話を書き綴っている私としては、カレワラの思想に親近感を感じます。楽器の起源や音楽の起源を探るこのブログの旅を、ヴァイナモイネンが船を歌い出すためにものの起源の言葉を探しに黄泉の国まで赴いた旅に重ねると、ブログを書く気分も一層盛り上がってきます。