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楽器の擬音語4 明治時代以降は楽器の擬音語が激減

埼玉大学の山口仲美氏の論文(埼玉大学紀要53巻1号2017年)によると、江戸時代には楽器の擬音語がいっぱい(歌謡集「松の葉」の中の出現率6.4%)だったのが、明治以降激減し、唱歌、童謡、文学、童話等どの分野で見ても、出現率は0.5~1%程度に減少するそうです。

その減少の理由は、ドレミの音階が日本に入ってきて、楽器奏法と擬音語の結びつきで楽器を教える「唱歌(しょうが)」の方法が衰退したこと。

明治以降の国民音楽教育では、楽器演奏よりも文部省唱歌(濁点のないしょうか)を歌うことが教育の中心になり、楽器を教えるときも和楽器ではなく西洋楽器を教え、邦楽楽器の三味線笛太鼓などはお座敷芸・放浪芸・下賤な芸として教育からは忌避されていきましたから、唱歌(濁点のあるしょうが)に対する国民の知識は次第に後退して行くしかなかったのでしょう。

そして、明治以降にあらわれる楽器の擬音語は「短く」て「一般的で感覚的な」音表現になっていきます。

たとえば、宮沢賢治のセロ弾きのゴーシュでは、セロが「ごうごうごう」、クラリネットが「ボーボー」と鳴り、林芙美子の浮雲では、ピアノが「ぽつんぽつん」と弾かれ、感覚的になります。ギターは「じゃん」、太鼓は「どん」、笛は「ぷーぷー」などの単純化された表現が普通になりますし、三味線の「チントンシャン」や、夏目漱石の虞美人草で琴が「ころりん」など、唱歌(しょうが)の影響の残りは見られるものの、これもある種の定型表現として残った形なので、江戸時代ならその後に続いたはずの多彩な変化がありません。

江戸時代の全国的な身分を超えた楽器稽古の流行を可能にしたのは唱歌(濁点のあるしょうが)の技法に負うところが大きかったわけですが、それはドレミの五線譜以上に音楽を肌で感じる感性を豊かに育てていたのかもしれません。