イベリア半島からの楽器の拡散を考えるときの基礎知識はトルデシリャス条約です。
ポルトガルが喜望峰を抜けて東に海洋進出しアジアに到達すると、スペインも負けじと西方に乗り出してアメリカ大陸に到達します。オランダ、イギリス、フランス等は出遅れていたので、ポルトガルとスペイン両国による世界争奪戦の様相です。
そんな状況下で、ポルトガルとスペインの間で、1494年、世界をふたつに分けるトルデシリャス条約が成立します。冒頭の地図の紫色の実線のところに線を引き、その線から西方向(左方向)はスペインの優先権、東方向(右方向)はポルトガルの優先権、ということに決めたのです。
マゼランが世界一周して世界が丸くつながってしまうと、地球の裏側にも線を引かないと世界を分けられないということになって、冒頭の地図の緑色のところに線を引く条約が成立します。1529年のサラゴサ条約です。この線は日本を途中でまっぷたつにしています。
イギリス、フランス、オランダなど後発国のことも、勝手に分けた土地に住む人々のことも、およそ眼中にないからあきれます。
これらの条約以後の両国の楽器の移動も、条約で決まった勢力圏に基本的に沿うことになります。南米に関して言えば、ブラジルはポルトガル領となり、ブラジルの楽器とポルトガルの楽器には共通性があります。ブラジル以外の部分はスペイン領になり、その結果例えばメキシコなどにはスペイン系の楽器がたくさん残ります。
ただしすべてが条約通りとは限りません。スペインとポルトガルは1580から1640年まで併合されてひとつの国になる期間もあります。その後ポルトガルとイギリスが緊密になったり、北米にはイギリスやフランスの移民が流入するとか、様々な国家関係の中で様々な流れが生まれます。