ウクレレ豆話

ポルトガル領マデイラ島に渡ったブラギーニャ イベリア半島→マデイラ島→ハワイへの移動の流れ

ポルトガル領マデイラ島の4弦楽器ブラギーニャが移民船でハワイに渡ってウクレレになったという、その起点のマデイラ島とはここです。☟

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ポルトガル本国から千キロ弱離れて、アフリカ大陸西岸を船で南下する途中にあります。

マデイラ島は1420年にポルトガル船に再発見されてポルトガル領になります。このころは大航海時代が始まった時期で、マデイラ島には補給基地として多くの帆船が寄港するようになります。そしてポルトガルから多くの移住者がやって来て、サトウキビやブドウが植えられて、砂糖の一大産地になります。若かりし頃のコロンブスも、マデイラ島に砂糖の仕入れに来ていたことがあるそうです。

マデイラ島にはこのように沢山のポルトガル船が往来していたことから、船舶に携行するのに適した小型ギターが早い段階からマデイラ島に渡ってきていた可能性はありそうです。移住者が携行品のひとつとしてギターを持って来たかもしれません。

やがてコロンブスがアメリカ大陸を発見し、南米が砂糖生産の中心になっていくと、砂糖に代わってマデイラ島はブドウとワイン産地として発展します。海賊が襲った船にマデイラワインの樽を発見すると大喜びしたのだとか。

盛んに輸出されたマデイラワインですが、19世紀の後半にブドウの木が病気で壊滅状態になり、マデイラワイン産業は大打撃を受けます。マデイラ島からハワイへ移民が渡ったのもまさに19世紀後半の1879年で、このワイン産業の打撃の影響を受けて大規模移民が起きたようです。そしてマデイラからの移民の手でブラギーニャがハワイにわたり、ウクレレに繋がっていくわけです。