ルネサンスギター

帆船における音楽の位置付け バーソロミュー・ロバーツの海賊の掟 

カリブの海賊とかバッカニアと呼ばれる16世紀から18世紀ころの中米付近の海賊社会では、船長たちが海賊の掟(pirate code)を定めていました。様々な船長のものが残っているのですが内容は似通っているようです。その中のひとつの典型、海賊黄金期最後の海賊船長バーソロミュー・ロバーツ(Bartholomew Roberts, 1682年 – 1722年2月10日)の海賊の掟全文をご紹介します。音楽家のことが最後に出てくるのが特徴的で、当時の帆船内における音楽の位置付けが垣間見えます。少し長いですがとても面白いので飽きないと思います。これは1724年に最初に出版されたチャールズジョンソン大尉の本、「パイレーツの一般的な歴史」が原典で、バーソロミュー・ロバーツが死んでから2年後の本なので情報の信頼性は高いと思われます。

1 すべての乗組員に活動に対する投票権を与える。新しい条項を発議したり、いつでも蒸留酒を手に入れることも同じく公平であり、投票権を行使することも、棄権することも自由である(棄権は珍しいことではなかった)。
2 戦利品はリストに基づき公平に順番に分配し、この機会に(一定の割合で)衣服を取り替えることを許可する。しかし、メッキ品や宝石、お金など、1ドル相当以上の価値のものをくすねた場合には置き去り刑に処す。また、仲間内での窃盗の場合には、耳や鼻を削ぎ、無人島ではないもっと過酷な困難に直面するであろう場所に追放する。
3 カードやサイコロによる賭博を禁ずる。
4 夜の8時には灯りや蝋燭を消して消灯すること。もし、飲み足りない船員がいれば甲板で飲むことを許す。
5 ピストルや剣は有事に備え整備を欠かさないこと。
6 許可なく少年や女性を船に乗せてはならない。もし、密かに女性を船に乗せ口説いているところを見つければ死刑に処す。
注釈:例えば偶然などから女性が乗り込んでしまった場合には、分裂や喧嘩を招く危険な要因とみなし、彼女の近くに番人を配置した。ただし、ここに1つ問題があり、誰が番人になるかで揉めた。
7 戦闘中に船や持ち場から逃亡した場合、死刑または置き去りの刑に処す。
8 船上での私闘を禁ずる。揉め事は陸地において剣とピストルによる決闘によって解決すべし。
注釈:和解に至らなかった場合、操舵長は適切な陸地に乗り付け、当事者たちを離れた状態で背中合わせに配置させる。そして両者が同時に振り向き、相手に発砲する(この決闘ルールを無視すれば、制裁される)。もし、両者が失敗した場合には剣で決着させ、最初に血を流させた方を勝利者とする
9 個々の分け前が1000ポンドに達するまで、一味を抜けることを許さない。職務中に手足を失ったり、活動に支障が出る負傷をした場合には、800ドルを共有貯蓄から補償し、それに満たない負傷は、その度合いに応じて支払う。
10 船長と操舵長は2人分の戦利品の分け前を得る。航海長、甲板長、掌砲長は1.5人分、それ以外の上級船員は1.25人分とする。
11 音楽家には安息日に休みを与える。その代わりに他の6日と夜は特別な許可がない限り休みはない。

ウイキペディアより

内容が案外民主的なことに驚かされます。一人一票の投票権、平等な発議権、富の公平な分配、紛争や事故を避けるためのきまり、船内紛争が起きたときの解決方法、障害を負ったときの補償規定、船長以下上級船員の利益は下級船員に比して最大2倍以内に抑えられることなど、先進的な内容を含みます。実際、黒人やネイティブアメリカンも海賊仲間では同じ権利が認められ人種による違いもなかったそうです。

そして私の最大の関心は、世間的に最も注目を引かないであろう最後の1箇条、音楽家には安息日に休みを与えるという第11条なのです。

他の船員の休日規定はないのに、音楽家の休日規定だけを最後に一条設けたのはどういうことなのか。海賊の基本秩序と権利に関する規定の中で、唐突に出てくる音楽家の随分詳細な休日規定は何を意味するのか。考えるとかなり不思議ではありませんか?

そこで私が推測したのが、これは音楽家に向けられた規定というよりは、主として乗組員全員に向けられた規定なのではないか、ということなのです。つまり、乗組員が音楽を要求するのを制限して週に1日は音楽を我慢せよと言いつつ、反面として週に6日は音楽を楽しむ権利を認めるという船員の権利規定なのではないかということです。

現代のように個人が自分の好きな音楽を持ち歩く方法がなかった時代に、音楽家に演奏を求める需要がとても大きかったのでしょう。死と隣り合わせのストレスも多く、娯楽が限られ、いつ陸に上がれるかわからない当時の船舶において、音楽は必要不可欠な位置にあったのかもしれません。(この掟を細かく見ると、当時の船員の欲求のうち、賭博と女性を禁止し、酒と音楽の自由は認めつつ最低限のルールを定めて秩序維持を図っているようです。当時の船員にとって、音楽が飲む打つ買うというアウトロー3大欲求に並ぶ大切な位置にあったことがうかがえます)

このように考えると、大航海時代以降のスペイン船やポルトガル船の寄港地に、アメリカ大陸、アフリカ大陸、アジア大陸の広域に小型ギターが広がって土着していった由来もうなづけるように思うのです。

私が最近製作している1733年のスペイン沈船サンフェルナンド号の小型ギター(下の写真)は、この掟を定めたバーソロミュー・ロバーツが戦死してから11年後のものですから、ほぼ同時代の楽器のひとつです。サンフェルナンド号はたぶん商船で海賊船ではありませんが、当時の帆船の長期航海ではこのような小型の船内楽器が日常的に活躍していたのではないでしょうか。

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