海を渡った小型ギターたち

ティンプレ Timple スペイン領カナリア諸島の小型ギター

スペイン領カナリア諸島には、ティンプレという名の主として5弦、時に4弦の小型ギターがあります。

カナリア諸島とはこちらです。スペインが15世紀以降アメリカ大陸に進出する際の重要な中継基地となりました。カナリア諸島の北側にもまとまって島があるのが地図上に確認できますが、これはポルトガル領マデイラ島で、こちらはウクレレの元楽器のラジャンとブラギーニャがある島です。

ティンプレの外形はこんな形です。

背面が膨らんでいるところが特徴的です。

起源については、数か国のウイキペディアを見比べると、結構バラバラの説明がされており、明確な定説はないようです。フランス語のウイキペディアでは、スペインが最初にカナリア諸島を征服した1400年代にバロックギターがカナリア諸島に渡ってきたのが起源と書いてありますが、その時代にはまだバロックギターは存在しないので情報に混乱があるようです。英語のウイキペディアには、19世紀にカナリア諸島で作られ始めて、4弦が先か5弦が先かという議論が演奏者の間にあるという趣旨のことが書いてあって、英語の影響力で各国のウイキペディアに引用されているのですが、次のようにドイツ語のウイキペディアの方が根拠がしっかり書いてあって断然信頼性が高そうです。ドイツ語のウイキペディアの記載の翻訳は次のとおりです。

1402年に始まったカナリア諸島の征服は1496年に終わり、先住民である旧カナリア人の文化はほぼ消滅した。1604年、テネリフェ島で詩人アントニオ・デ・ビアナが、入植者たちがギターを持ち込んだと説明したように、旧カナリア人は弦楽器を持っていなかった。異端審問の初期には、行列の中でギターを演奏し、数千人が一緒に歌った市民ミラーレスの事件が知られている。16世紀から18世紀にかけての公証状には、大小のギターの在庫が列挙されている。

スペイン人、そしておそらくそれ以前のベルベル人やムーア人が、弦楽器製作の知識を島に持ち込んだのかもしれない。2本のメロディ弦は5分の1間隔で、他の3本の伴奏弦はオクターブで配置されている。ランサローテ島から約120キロ離れた西アフリカの海岸、モーリタニアからギニア、内陸部ではマリを経由してニジェールへとつながっていたと考えられている。

1752年、パブロ・ミンゲットがマドリードで「ギタドラ、ティプルtiple、バンドラ」を学ぶためのメソッドを発表した。このメソッドは、この種のものとしては最初に知られたものである。このメソッドによると、この古いティンプレと現代のカナリア・ティンプレは、同じ弦の張り方、同じチューニング、同じ弾き方をしている。

ティンプレは、スペインの入植者が島に持ち込んだバロック・ギターから発展した可能性がある。楽器は、合唱のようにバス、テナー、ソプラノと音程によって分類された。最も高い楽器は一般にトレブルまたはティプルtipleと呼ばれた。ティンプレtimpleに付けられたmは、音の挿入であるエペンテシス(epenthesis)によって説明される。

客観性があるのでこのドイツ語のウイキペディアの情報に乗りたいと私は思うのですが、昨日まで何回かに分けて考えてきたように、スペイン本土には、guitarrico(アラゴン州)、guitarró(バレンシア州とバレアレス諸島)、guitarro(ムルシア州、ラマンチャ地方など)という伝統的な小型ギターが各地にあり、4弦、5弦、複弦5コースなど様々なタイプのものが古くからあるので、これらの小型ギターがスペイン人が来島した早い段階から次々とカナリア諸島に持ち込まれ、そこからさらに進化したと考えるのが最も自然のように思います。時代的にルネサンスギターやバロックギター自体も順次流入していたでしょうから、それらも進化に影響を与えたはずです。

ティンプレの調弦は、腕に抱えた状態で上から見て、GCEADです。

調弦の動画↓

この調弦でおもしろいのが、ポルトガル領マデイラ島の5弦小型ギターであるラジャン(Rajão)の調弦がDGCEAなのです。カナリア諸島のティンプレはGCEADですから、GCEAは共通なのに、Dが上端にくるか下端にくるかが違うんです。そして、スペインのアラゴン州のギタリコ(guitarrico)を見ると、こちらの調弦にはDGCEAというのがあり、これはポルトガルのラジャンと同じです。まあ同じといっても、それぞれ音の高低の組み合わせに様々なパターンがあり得るので、そこから個性は出てくるのですが。ちなみに、ハワイのウクレレは、これらの共通部分のGCEAだけを取り出して4弦ギターになっている形なわけです。

さて、長くなったので、続きはまた次回。

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