上の絵は、手のビウエラ(ビウエラ・デ・マノ)と弓のビウエラ(ビウエラ・デ・アルコ)を演奏する天使 スペイン バレンシア大聖堂
それから↓のこれは、マルカントニオ・ライモンディによる1510年以前に作られた彫刻画。詩人ジョヴァンニ・フィロテオ・アキリーニが手のビウエラ(ビウエラ・デ・マノ)を演奏している様子。ビウエラって、本当に大きいですね。
さて、このところ、流れのままにビウエラの話を書き始めてしまったので、ここらでビウエラの基本情報をまとめておきます。このブログは流れ次第で芋づる式に書いているので、全体構成は気まぐれなのです。(∩´∀`)∩
ビウエラの概要
・ビウエラ(Vihuela)という言葉は、現在は手の指で弾くもの(ビウエラ・デ・マーノ)を指すのが一般であるが、元来非常に広い言葉で、次のものを含む。
ビウエラ・デ・マーノ Vihuela de Mano(手のビウエラ) – 撥弦楽器(6コース)、指頭により演奏
ビウエラ・デ・プエブロ Vihuela de Pueblo(人々の) – 撥弦楽器(4コース)、指頭により演奏…これはルネサンスギターと重なるものかも?
ビウエラ・デ・プレクトロ Vihuela de Plectro(プレクトルムの) – 撥弦楽器、プレクトルムにより演奏
ビウエラ・デ・アルコ Vihuela de Arco(弓の) – 擦弦楽器…後に大型化してビオラ・ダ・ガンバの祖先と言われる
・手のビウエラは、複弦(ユニゾン及びオクターブの組み合わせ)の6コース楽器で、ルネサンスリュートと同じ調弦で使用できたため、リュートのための曲をビウエラで演奏することが可能であった。代表的調弦一例としてはGCFADG。弦はガット。
・ビウエラの起源は明確ではなく、15世紀のイタリアで生まれたと説明する文章も見られるが、ビウエラの名前が最初に文献に現れるのは、15世紀のアラゴン王国(スペイン北東部の王国)であり、アラゴン王国で進化したと言われている。
・ビウエラは15世紀後半から16世紀までスペイン、ポルトガル、イタリアで一般的に使用された。その黄金期は16世紀のスペインと言われる。スペインの勢力圏である中南米にも広まる。
・15世紀の終わりころ、スペインの宮廷ではリュートとビウエラ(手のビウエラ)が併存していたが、レコンキスタ(イベリア半島におけるキリスト教勢力によるイスラム教徒からの国土回復)の完了後、イスラム教徒の楽器と認識されていたリュートに対するカトリック王の規制が厳しくなっていき、16世紀の最初の数十年の間に、ビウエラはリュートにとって代わり、以後、スペインの貴族の教育に不可欠な道具になっていき、スペイン社会の最高層に広まり人気となった。
・この時期16世紀スペインにビウエラのための優れた作曲家が多数現れ名作を残した。→Luis de Milánルイス・デ・ミラン
Luis de Narváezルイス・デ・ナルバエス
Alonso Mudarraアロンソ・ムダラ
Enriquez de Valderrábanoエンリケス・デ・バルデラバノ
Diego Pisadorディエゴ・ピサドール
Miguel de Fuenllanaミゲル・デ・フエンリャナ
Esteban Dazaエステバン・ダザ
・ルイス・デ・ナルバエスの曲のビウエラ・デ・マノによる演奏例↓
・ビウエラとルネサンスギターの関係については、基本無関係と説明する人もいれば、ルネサンスギターはビウエラから生まれたと説明する人もいる。まあ、どうなんでしょうね…。16世紀スペインでどちらも流行っていたことは間違いなく、ビウエラはスペインでは上流階級中心、ルネサンスギターは庶民中心に広がっていたという説明は散見される。
・17世紀にスペインの海洋覇権がなくなるとともにビウエラはヨーロッパでは衰退し、バロックギターにその役割や機能は移行していった。
・現在ビウエラの子孫で使われているものは、ポルトガルのビオラ・カンパニサ、コロンビアのティプルなど、探せばかなりある。
参考
ウイキペディア(日本語、スペイン語、ポルトガル語、イタリア語、英語各バージョン)
La vihuela española: historia y curiosidades
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