海を渡った小型ギターたち

マデイラ島とポルトガル本土のフォークダンスを見較べながらあれこれ思う

まずは、マデイラ島のフォークダンス☟

次はポルトガル本土リスボンのフォークダンス

こうして比べてみると、基本は似ています。両手を上げて、男女ペアで、くるくると体をひねるようにして回り、スカートがふわっと広がります。音楽の曲調や、アコーディオンと小型のギターが伴奏楽器で、ギターのストロークは単純で、普通の人が簡単に弾けそうなシンプルさも似ています。

他方、細かく見ると、マデイラの特徴的な帽子とか、女性の衣装のデザインとか、使っている楽器などは、マデイラ島の独自性があります。

私の一番の注目はやはりギターなのですが、ポルトガル本土の方はスチール弦の4弦楽器カヴァキーニョ(Cavaquinho)をピックではじいて演奏しています。マデイラ島の方はというと、他の動画も色々確認したのですが、一番多く出てくるのは5弦ラジャン(Rajão)で、次に9弦ないし10弦のヴィオラ・ダラメ(Viola d’Arame)もよく出てきて、ブラギーニャ(Braguinha)はあまりフォークダンスには登場しないようです。ポルトガル本土のような形のカヴァキーニョはマデイラ島には全く出てきません。

マデイラ島は、ポルトガル本土の文化をベースにしていることは明らかですが、独自の変化をしています。

そういうマデイラ島の独自性を生む要因としては、次のようなことか考えられるでしょう。

・マデイラ島はポルトガル領でも自治領なので政治的独立性があること。

・ポルトガル本土から千キロ程も離れてアフリカに近い位置関係。

・15世紀から続く海上交通の中継点で、各国の船が補給基地として常に来ていて、様々な大陸の文化に触れ続けていること。

・さとうきびやぶどうの世界的大産地として独自性のある農民の暮らしがあったこと。農地の所有と小作制度にも独特の体系があったという。

・砂糖やワインの海外貿易が産業の中心であったため、諸国の人が常に滞在居住していたこと。

・さとうきびの栽培の盛期には、アフリカから奴隷労働が導入されて、アフリカ文化の流入もあったと思われること。

・各国からの観光も産業の柱で、ヨーロッパ全体から常時多くの人が来ていたこと。

・保養地、療養地として、ヨーロッパの上流階級の人の来島も多かったこと。

などなど、マデイラ島というのは、かなり多面的多層的な文化の交流点になっていたようです。こういう島から、19世紀ころ、大量の移民が世界中に散っていきます。島の人口が増えすぎたことと、ブドウ栽培の病害などがそのきっかけです。かくして、マデイラ島で多面性を帯びたポルトガルの文化が世界に、そしてハワイにもやってきて、独自のウクレレ文化につながっていくと、大きな流れはそういう感じです。

マデイラ島からの世界への移民表☟ 1872年以降が抜けているので、残念ながらハワイへの移住が含まれてないですが、多方面に移住したことがわかります。きっと楽器も一緒に渡っていったでしょう。

RELATED POST