ウクレレ豆話

マデイラ島からの移民船 レーベンスクラグ号

マデイラ島からハワイにウクレレの前身のブラギーニャをもたらした移民船の経過全般を書いておきましょう。

・1877年、ポルトガル(マデイラ諸島とアゾレス諸島)からハワイへの契約労働者の移住が開始される。1884年までに1万人、1910年までに約15000人のポルトガル人がハワイに移住した。

・1879年4月はじめ マデイラ島からの移民を乗せて英国船レーベンスクラグ号(Ravenscraig又はRavenscrag、上のスケッチの帆船)が出発。

・1879年8月23日土曜日 ホーン岬まわりルート(つまり南米南端を抜けて太平洋へ出るルート)でホノルル到着。4か月22日の航海。

・この時の移民の数は、男性135人 女性115人 子供178人 計 423人。

・乗船者の一人ジョアン・フェルナンデス(1854-1923、当時25歳)が、ブラギーニャを到着した船のデッキで演奏して歌ったことからハワイで初のウクレレ奏者として語られることになる。ちなみに1922年のParadise of the pacificの記事に、晩年のジョアン・フェルナンデスについて「ハワイ初のウクレレ奏者は、長年の苦労の末、やや腰が曲がってしまったが、その分元気で、ホノルルの繁華街の上にある暗い部屋で1日中錫の破片を叩いている」と記載されている。…(錫の破片って何?)

・船が到着して間もなく、音楽好きなポルトガル移民がホノルルの街で陽気なポルトガル音楽を歌い演奏する姿が多く見られるようになり、彼らが演奏する小さなギターの音色がハワイの人々を惹きつける。1879年8月のハワイアンガゼット紙の記事に、「最近ここに到着したマデイラ諸島の人々は、毎晩のストリートコンサートで人々を喜ばせています。彼らの奇妙な楽器は、ギターとバンジョーの一種のクロスです」と紹介されている。下の写真を見るとブラギーニャの他にも色んな楽器を持ってきたらしいことがわかる。

・この移民船に同船していた家具職人、マニュエル・ヌネス、ジョゼ・サント、オーガスト・ディアスの3人がウクレレ製作を開始。材木はハワイアンコアを使う。

・ハワイへの当時の主要な移民を年代順にあげると、中国、日本、南洋諸島、ポルトガル、ドイツ、ノルウェー、スペイン、プエルトリコ、朝鮮半島の順で、砂糖黍の生産労働が多かった。(国別移民毎に仕事の内容は異なるかもしれません)

ちなみに日本からは総計22万人がハワイに移住していて、日系人がウクレレを持っている古い写真を探してみたのですが、畑で集団労働している写真はたくさん出てきますが、ウクレレを持ってる写真は見つけられませんでした。日系人社会にウクレレがなじむのはもう少し後からなのでしょうか。まじめにこつこつ働く日本人移民と、移民の荷物に色んな楽器を入れて着いたとたん歌い始めるマデイラ移民と、アリ文明とキリギリス文明の出会いみたいで興味深いです。アリ文明からすると、そんなことでは寒い冬は越せんぞと思ったかもしれませんが、ハワイに寒い冬はなかったのでした。

☟日本人移民の写真は大体こんな感じ

RELATED POST