今はもう題名も知られていない尋常小学唱歌の中で気になるのは、やはり戦争を扱うものです。各学年ごとに戦争準備的な歌が計画的に配分されているようです。たとえばこんなもの。
第一学年 兵隊さん かっこいい兵隊さんが大好きという歌
第三学年 かがやく光 わるものを退治して勲章ぴかぴかの日本軍人の輝くばかりのかっこよさ
第四学年 桜井のわかれ 生きては帰らぬ覚悟
第四学年 靖国神社 国のためにいさぎよく死んで靖国神社で神になる、命は軽い、義のために死んで永遠に賞賛されるなど
第五学年 入営を送る 軍隊に入る大人のうらやましさ、あこがれ
第六学年 出征兵士 戦争に行く大きな喜び、父母も兄弟も自分が国のために命を捧げることを心から願い喜ぶということ
これらは戦争準備的な唱歌の一部ですが、これらの内容は、第二次世界大戦においてそのまま現実化していることにあらためて驚かされます。日中戦争から太平洋戦争までに日本人が取った行動はまさに唱歌のとおりでした。子供たちはこぞって兵隊になりたがり、死んで来ますと言う子を万歳三唱で送り出し、戦死公報におめでとうこざいますと言い合うという行動様式のひな型が、唱歌の中にみんな見られます。明治政府が子供たちの心に撒いた戦争の種は、想像以上の発芽率で育って、一斉に開花したようです。
これらの唱歌ができたのが1911年から1914年で、日中戦争が始まったのがそれから約25年後の1937年、太平洋戦争が始まったのが約30年後の1941年。文部省唱歌で育った世代はすでに40歳に達し、戦争を担う世代全員が文部省唱歌世代で占められています。その上の世代も1905年の日露戦争の奇跡的な勝利の熱狂を経験しており、子供たちが歌う文部省唱歌の内容は国民全体にしっくり浸透していたことでしょう。
現代から見ると、当時の日本人がどうしてあれほど戦争と死を美化していたのか不思議に見えますが、文部省唱歌(歴史や国語などの科目も唱歌の内容と連動する仕組みで強化されていた)で子供のときから繰り返しその種を植えらたことで、社会の趨勢はそうならざるを得ない力学になっていたのかもしれません。
唱歌教育というものは世界的にかなり独自のものであるようで、音楽がこれほどはっきりと影響力を示した例は世界史的にも珍しいのではないでしょうか。唱歌というものの力学を再検証する必要がありそうです。音楽が戦争や暴力を美化して大きな社会的力を発揮する条件を再確認しておく必要があるようです。