平安時代後期~室町時代ころ、天皇は9才から11才ころから楽器を学び始めたそうです。これを「御楽始」と言い、学ぶ楽器名を入れて、「御笛始」「御琵琶始」などとも言いました。
先生役は御楽始の際に正式に任命される常任の「御師」。そのほか秘曲の伝授など特別の必要から選任される特別の御師や、昇殿を許されない身分の地下人が事実上の御師として教授することもありました。
教える楽器の種類としては琵琶と笛が多いですが、平安時代前期には和琴や筝がよく教えられ、平安後期からは笙が登場します。
天皇が自ら楽器を演奏した最初の記録は、平安時代初期の天長 4 年(827年)の淳和帝(桓武天皇の第三皇子)の記録です。「淳和天皇天長四年十月戊申、御二紫宸殿一賜レ飲。群臣酔舞、帝弾琴而歌楽」とあり、酔舞する群臣の前で天皇が琴を弾いたという記録からですが、平安時代の初代天皇である桓武天皇は、筝の演奏に堪能であったと言われています。
平安時代以前は、天皇は音楽を聞く側だったのが、平安時代初期から自ら演奏する側にシフトしたようです。
天皇が自ら楽器を演奏することは、「楽は聖人の楽しむところなり、而して持って民心を善くす可し、其の人を感ぜしむること深く、其れ風を移し、俗を易ふ」(礼記)という礼楽の政治思想を背景として、やがて天皇の帝王学の一部となっていき、平安時代中期から鎌倉時代、室町時代、南北朝時代へと引き継がれ、その間、天皇に楽器を教える家柄や、教える楽器の選択が、政治的な駆け引きの道具にもなっていきます。
参考・中世における天皇と音楽(上)(下) 豊永聡美
足利義満と笙 坂本麻実子 日本の音の文化・第一書房より
平安時代における礼楽思想と天皇奏楽―盛唐以前と比較して―森 新之介