あれこれいろいろ

フラを初めて見た西洋人の記録

ハワイに西洋人が最初に来たのは、1778年、キャプテン・クックの船団ですが、このときフラを目にした記録があります。

「いままで、ハワイアンの娯楽を見る機会はまったくなかったのだが、今日は楽器を目にすることができた。それは皿のような木製の容器と二本の枝である。男が枝の一本をバイオリンのようにして持ち、もう一本で音を出すのと同時に、足を使って空の木の容器を叩いた。すると、なかなか良い音が出た。この音楽に合わせて女性が歌を歌った。感じがよくて柔和な声の持ち主だった。もうひとつは中に小石の入った瓢箪で、楽器と呼べるほどのものではない。子供用のガラガラのようなもので、踊りのときに用いるそうだ」

次に、ジョージ・バンクーバー船長の部下、アーチボルド・マッケンジーによる1794年の記録。コナ近辺で見たフラです。

「朝食を終えると、小さな女の子がやって来て、我々の宿泊している建物の入り口で踊りを披露してくれた。踊っているあいだ、一緒にやってきた父親が、小さなドラムを叩きながら歌を歌ったり、詩を暗唱したり、ときには彼女と掛け合いをしたりした。女の子は仰々しい衣装を身に着けていた。ステップはとてもしっかりしており、私たちはたいそう興味をそそられた。動きは大変に優雅で、素早くいきいきとしており、正確かつ流れるようで、今までこの島で見たものの中で最も素晴らしかったし、世界中どんな専門家が見たって賞賛するに違いなかった。指先に至るまでの身体の動すべて、筋肉の動きすべてが釣り合っていた。視線の動きや、落ち着いた表情の美しさすべてが、言葉では到底表現できないほどだった。この女優さんはまるでオペラ歌手のようだったが、彼女は父親と一緒に村から村へと移動しながら住民の前で踊りを披露して生計を立てているということだった。今日の踊りを見たかぎりでは、文明国に行っても十分にやっていけるほどの才能の持ち主だ」

同じ年、バンクーバー一行がカウアイ島で見たフラの記録もあります。

「その日のプログラムは三部に分かれており、それぞれ違う集団が登場した。各グループが200名くらいの女性で構成されていて、五列から六列になっていた。立っているわけでもなく、座っているわけでもなく、臀部を突き出してかがみ込んでいるという感じだった。(中略)この姿勢で、彼女たちはおよそ人間業とは思えないほど、いろいろと手足を動かした。声と体の動きは完璧なまで統制がとれていて、指先一本まで全員同じだった。声はとてもメロディアスで、動作はあまりにも多様で言葉では言い尽くせないほどだ。とてもゆったりとして優雅な動きで、すべて信じられないほど正確だった。全員で大声をあげながら、苦悩の表情と動作を見せたかと思うと、次の瞬間は静まりかえり、まったく落ち着きはらっている。それまで立っていたかと思うと、次の瞬間は命を失ったかのように倒れこみ、衣装のなかに身体を沈めてしまう。これは、荒れ狂う海が突然のなぎで静まりかえる様子を表現したものなのだ。(中略)観客はオアフのときと同じくらい多かった。みんなおめかしをしていた。夕陽が沈み、フラが終わると、静かに帰途についた」

最後に1816年、エイデルバート・キャミソの記録です。

「12月4日に三名の男性が踊りを披露してくれた。そして6日には多数の若い女性が踊った。そのなかには、素晴らしく美しい女たちがたくさんいた。しかし、私が惹かれたのはこの女たちではない。むしろ、フラの芸術を最高のかたちで表現した男たちに深い感銘を受けた。三名とも実にすばらしかった。(中略)フラを見ていたハワイアンはものすごく熱狂し、悦びに酔いしれていた。こんな観客はいままでみたことがない。かれらは衣服や宝石などの贈り物を盛んに躍りてたちに与えていた」

(ハワイとフラの歴史物語 矢口祐人著 より)

ハワイのフラは、200年以上前の段階から非常に大規模で、盛んで、究極に洗練されていたことがわかります。最後の記録のように、美しい女性もいいけど、男性の踊りにもっと感銘を受けたというのは、わかる気がします。男性の踊るフラ・カヒコの勇壮な美しさは、男性から見てもほれぼれします。

 

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