海を渡った小型ギターたち

中南米に渡るビウエラ

上の絵は、ビウエラを弾くオルフェウス(1536)。絵の周囲に、オルフェウスをビウエラの発明者としてたたえる内容が描かれています。

さて、前にも一部触れましたが、スペインから中南米にビウエラが渡った記録がいくつかあります(スペインセビリアのインディーズ公文書館の記録ほか)ので整理しますと…

・1496年と1497年 スペインのカトリック両王(アラゴン王フェルナンド2世とカスティーリャ女王イサベル1世)のクリストファー・コロンブスに対する第三回遠征前の指示…良い政府と居住する人々の維持のため娯楽用の楽器と音楽も行かなければならないという趣旨の指示。これによりプサルテリー、ビウエラ、ハープ、ルネサンスギターが、おそらくエスパニョーラ島に運ばれた。

・1509年 セビリアとサンルカルから出航したディエゴ・コロンブス(クリストファーコロンブスの息子)のサント・ドミンゴ艦隊で、秘書のルイ・コンザレスがヴィウエラと弦を持っていたという記録

・1529年 セビリアに住んでいたシエナの商人がベネズエラのクバグア島に15のビウエラを送ったという記録

・その他、16世紀ころ、ペルーのリマ、メキシコ、ブラジル、アルゼンチン(サンタフェ、ラプラタ、アルゼンチン北部)、などの場所にビウエラとビウエラ奏者がいたという記録。これは世俗音楽とダンスの学校との関係のものが多いが、原住民の文化変容としての使用の言及も見られるという

このようにアメリカ大陸が西洋社会に発見されてからわずか三、四十年で、中南米全体にビウエラが広がっていきました。かなり早い展開です。

ビウエラが運ばれた経緯は様々なルートがあったのですね。。

・植民地建設計画に沿って公的に運んだもの

・移住者が個人的に運んだもの

・商人が移住者向け商品として運んだもの

・世俗音楽やダンスの学校で使用するものとして運んだもの

・原住民の文化との融合の中で使用されたもの

など多方面に及び、そのほかにも、1600年代には、エクアドルのビウエラ・マリアニータのように、キリスト教会の信仰に寄り添う楽器としての使用形態も見られます。

当時のスペインでは、ビウエラとルネサンスギターは共存して使用されていたということなので、ビウエラが運ばれた経緯は、ルネサンスギターの展開にもかなり参考になる部分があると思います。

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