あれこれいろいろ

西洋古代から中世に見る善悪二分的音楽観

現代では音楽の多様性が一般に認められているので、個人的に嫌悪感を感じる音楽を聞いたとしても、それが悪い音楽だという考え方はあまりしないと思います。しかし、古代から中世のヨーロッパでは、例えば放浪芸人の音楽などは、町の祝祭や宮廷で、あらゆる階層の人を楽しませていたのに、悪い音楽とか低俗な音楽というように決めつけられて差別されていました。このような「悪しき音楽」という発想はいつどこから来たのか、というのが今回のテーマ。

当時の色々な文献上、音楽の悪さを言いあらわす言葉は多岐にわたり、たとえば、見識がない、無知な、無秩序な、規律のない、無分別な、恥知らずな、間違った、愉悦だけを目的とした、おしゃべりな、騒々しい、世俗の、異教的な、異端の、肉の喜びの、欺きの、音響だけの、罪の、獣のような…という具合に、実に様々な形容で表現されています。これほど多様な形容があるということ自体、悪しき音楽に対する関心(警戒心)の高さがうかがえます。

古代から中世にかけての西洋知識人の間では、音楽は真理を求める学問や信仰という側面で捉えられ、楽しんだり感動したりするためのものとは考えられていませんでした。ですから、放浪芸人が奏でる人を楽しませるための音楽などは、知識人からすれば、元から音楽の定義に入らないわけで、むしろ人を真理から遠ざける危険のある本来の音楽の反対側にあるもの、という捉え方がされたようです。

時代をさかのぼって、この点に触れている思想の代表的なものを拾ってみました。

<古代ギリシャ> プラトン(紀元前427年 – 紀元前347年)の「ミノス」。

「私たちの音楽はかつて、確立された様式を持つ音楽とそうでないものとに分かれた。知識や教養のある見識は、口笛、群集のざわめき、拍手のような無分別で非音楽的なものを禁じた。静かに聴き、知ろうとすること、これがルールだった。しかしその後、音楽の規律、形式に無知な詩人たちによって非音楽的な無秩序がもたらされてしまった。彼らは、音楽には正しきこと、間違ったやり方などないと、自身を欺いて言った。彼らは、音楽はそれがもたらす愉悦によって良し悪しが判断されるべきだといった。彼らの言うところまた彼らの理論は、ずうずうしくもしかるべき判断ができていると大衆に思い込ませ、大衆に悪影響を与えている。だからわれわれ観客、つまりかつて静寂を守っていたのに、時を経ておしゃべりになった、この音楽の貴族は芸術文化に悪影響である。批評は音楽でなく、デタラメな才知、規律を破壊する精神であり、名声のためのものである。」

<古代ローマ後期から中世初期> アウグスティヌス(354年-430年)「告白」 

アウグスティヌスは、古代ローマでキリスト教が公認された頃に生き、マニ教からキリスト教に回心し、プラトンの思想の影響(新プラトン主義)も受けながら、多くの著述を残して初期キリスト教の方向性全般に大きな影響を残した人です。彼は、キリスト教に回心した初めの頃にミラノの教会で聞いた東方の流儀で歌われる詩編や讃美歌を聞いて涙を流したことを想起し、キリスト教会において歌唱が行われることを良しとしていましたが、同時に、世俗音楽や異教音楽のように教会音楽にも耳の快楽を伴う面があることに強い警戒感を持っていました(「告白」)。そして、音響 (sonus)に対する歌詞の意味内容 (sentent ia)の優位を主張し、歌われる内容 (res)によってよりも歌(cantus) そのものによってより動かされるということが起こるならば、自分は罪を犯すのであり、その場合は歌うのを聞かない方がよかったのだと述べつつ、困ったことに肉のよろこびは屡々人を欺き…知らぬ聞に罪を犯していて後でそれに気付くということになるのだとも述べています。そして、そのようなことにならないために、教会において歌うときの心の姿勢について詳しく言及しています。

参考 アウグスティヌスにおける歌唱の意義 三宅美々子

<中世初期> ポエティウス(480年 – 524年か525年) 「音楽教程」

ポエティウスは、新プラトン主義、アリストテレス、ピタゴラスなどを合わせて、音楽を学問体系として整理し、中世以降の音楽観の理論的基礎を作った人です。ポエティウスの理念の根底は、音楽は耳に聴くことのできる数である、というところにあります。数の比率が単純であるほど音の響きが美しいというピタゴラスの発見から説き起こして、全ての美しいものは数によって解明されるから、音楽は、耳で感じられる比率という形で、神の美と、神の美の反映である世界の美と、世界の美の反映である人の美を描写する方法として存在するとしました。そして、音楽を、①ムーシカ・ムンダーナ(羅musica mundana、宇宙の音楽)、ムーシカ・フーマーナ(羅musica humana、人間の音楽)、③ムーシカ・イーンストルメンターリス(羅musica instrumentalis、道具の音楽)、の三段階に分類しました。さらに聴覚の喜びのためだけに音楽を創造し楽しむということは満足すべきことではなく、歌手(カントル)は、いかにして創るかいかにして楽しむかという方法しか知らないのに対し、真の音楽者(ムシクス)は、与えられる喜びの背後にある比率を知って、判断する能力があるとして、演奏家よりも理論家に高い位置を与え、上記③のムーシカ・イーンストルメンターリスは、三段階の最低のものであるから、数の法則に基づいて他の二つから派生した思弁的な見識に従わなければならないものとしました。理論的思弁的音楽を第一とし実践的を第二とするポエティウスのこのような分類は、後の時代の様々な著述や教育の基礎的な考え方となりました。

参考 中世社会の音楽 A・スィー著 音楽史シリーズ1

<中世中頃 11世紀> グイード・ダレッツィオ(991?-1050)

グイード・ダレッツィオは、中世イタリアの音楽教師で、現在用いられる楽譜記譜法の原型を考案するとともに卓越した音楽指導法を開発した人物です。そして、ムジクスとカントルの関係性ついて、ポエティウスの理論を継承して次のように述べています。「ムジクスとカントルの間には大きな違いかある。カントルは歌うだけで、ムジクスは同時に音楽学に含まれているものを知っている。というのも、それがなんであるのかを知らないのに何かをなそうとする者は、獣と呼ばれるのであるから」と。グイードは、教養ある音楽家は、無学な天賦の才や慣れだけで演奏している高次の動機のない報酬のためだけの演奏家よりはるかにまさっているとしました。

参考 中世ヨーロッパ放浪芸人の文化史 マルギット・バッハフィッシャー著

<中世中頃 12世紀>

次は文章ではなく絵画です。12世紀の礼拝用聖歌集の写本挿絵で聖俗の音楽の対比をしたもの。

上段が聖の音楽をあらわし、下段が俗の音楽をあらわしています。上記のようにグイードは教養のない者の音楽家に「獣」という言葉を用いていましたが、この絵の下段を見ると、中央の太鼓を叩く人はまさに獣の姿。上下段を比べると、手にしている楽器の種類も異なっています。下段中央の太鼓を叩く獣の周囲には踊り子や軽業師がいて、どうやら当時の旅芸人の様子そのもの。この絵には、聖俗の音楽家の区別、使用する楽器の区別、演奏される曲目や曲調の区別、真理を認識する者と楽しむ者という動機の区別、探求目的か報酬目的かという目的の区別など、音楽を聖と俗に二分する思想の中心要素が集中的に表現されています。

さて、以上の流れを見ると、プラトンの考え方が一貫して継承されていて、そこにキリスト教の考え方が合流して、西洋音楽の思想的潮流が形成されてきたことが再確認できます。それが、善悪聖俗という二分法を促進し、現代のクラシック音楽も、音の品格を大切にするという形で、その流れを穏やかに受け継いでいると言えます。

この音楽の二分法の構図は、実は東洋にも見られます。儒教的な観点から雅楽と俗楽に分ける思想が出て、俗楽を悪しき音楽として排撃するという歴史がやはりありました。どうやら、人は善と悪に分けるという分類作業をしないではいられない生物なのかもしれません。

しかし、こういう聖俗や善悪という二分法の音楽観は次のステージに移りつつあるようにも思えます。人とAIの関係から生まれてくる新しい生命観や宇宙観が、二分法をはるかに超えて、三分法、四分法、五分法、〇分法…と、無限に多元的な価値世界を増殖させていき、それらの共存の中からこれまでの音楽観も根底から変わっていくのではないか、というのが最近私の中に湧いているテーマなのですが、その輪郭はまだはっきりしません。

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