あれこれいろいろ

中世ヨーロッパ 放浪楽師の法的地位

中世のヨーロッパでは、放浪楽師たちの法的権利は著しく制限されていることが珍しくありませんでした。

地域や時代によって制限は色々ですが、例えば、13世紀初頭に成立したドイツ語圏、ポーランド、ハンガリーに広がっていたザクセン・シュピーゲルという法律書では、芸人・決闘請負人・見世物決闘師・非嫡出子・犯罪者の法的権利が認められないことが規定され、芸人の例として、「太鼓たたき、バイオリン弾き、歌うたい、軽業師、手品師、瀉血師、床屋、風呂屋、笛吹き」の名前があげられています。

また13世紀のウイーン市条例には、芸人が理由もなく殴りつけられたことに対して裁判による償いを求めるならば、訴えられた者は、気晴らしに芸人たちをさらに3発殴ってもよい、と書かれています。これはつまり、芸人に対する理由のない暴力の許容(黙認)と、芸人を訴訟救済から排除するという2つのことを定めていると言えるでしょう。

1300年のパッサウ市条例では、「名誉よりも金を求める放浪者を、ののしったり殴ったりするものがいたとしても、裁判官は相手にする必要がない」と定められ、これもはやり放浪芸人に対する暴力の許容と訴訟救済からの排除を定めていると言えます。

このような当時の様々な法律書には、「名誉なし(エーアロース)」「権利なし(レヒトロース)」「法的保護なし(エヒトロース)」などの言葉が見られ、一般人には当然認められている様々な訴訟上の権利が芸人には認められないことが表現されています。具体的な訴訟上の権利の制限の代表例としては、以下のようなものが見られます。

・放浪芸人が法的な救済を求めて訴訟を起こすこと自体を認めない。

・放浪芸人の宣誓能力を認めない。神の前で誓うことによって身の潔白を証明することが一般には認められたが、芸人は神に誓う能力がないとされることによって、身の潔白を証明することができないことになり、結局決闘で解決することしかできないことになる。

訴訟を起こすことができても、後見人(弁護士のようなもの?)を依頼することができない。

・放浪芸人は決闘請負人を雇うことができない。当時の裁判では、正当な解決方法のひとつとして決闘による解決があり、実際には決闘請負人を双方が雇って代理決闘をすることが多かったが、放浪芸人は決闘請負人を雇うことができないとされることによって、自分で戦うしかないことになる(ほぼ勝ち目なし!)。

・放浪芸人に損害や傷害を与えた者は、犯罪にならず罰せられない。

・放浪芸人は身を守るために武器を携帯することが認められない。

・仮に放浪芸人が訴訟で勝利したとしても、損害や傷害に対する賠償や贖罪は、影による贖罪で足りるとされた。影による贖罪とは、罪人を壁の前に立たせて、壁に映った罪人の影を被害者である放浪芸人が切り落とす所作をすれば、それで復讐が完了したとするもの。放浪芸人は影の国の存在であるから、影を与えれば十分という理屈からきているらしい。(冒頭の絵は、1320年頃ザクセン・シュピーゲルの写本挿絵、影による贖罪)

ヨーロッパ全体で統一的な訴訟法があったわけではないので、どこでもこうだったわけではないでしょうが、少なくとも13世紀ころのドイツ付近の放浪芸人は、こんな扱いを受けていたわけです。そのあからさまな差別的扱いに驚かされます。被害を受けた放浪芸人が訴訟を起こしても、決闘を強制されて殺される危険が大きく、仮に勝っても相手の影を切って終わりというのでは、訴訟を起こす意味がありません。それはつまり放浪芸人(その配偶者も)はその社会では一切法によって保護されないということで、いつでも誰でも放浪芸人にどんな害を加えてもよいということに繋がってしまいます。

このような法的扱いをされた者は、太鼓たたき、バイオリン弾き、歌うたい、軽業師、手品師、瀉血師、床屋、風呂屋、笛吹き、決闘請負人、見世物決闘師、非嫡出子、犯罪者ということですから、放浪者や芸人ばかりではありませんでした。非嫡出子や犯罪者の名前が挙がっているところを見ると、共同体の秩序から何らかの形ではみ出た存在を共同体から排除しようという共同体防衛的な発想だったのでしょうか。そういう意味では放浪の楽師などは、明らかに共同体の外側の存在で、しかも他国とどんな関係があるかわからず(スパイかもしれない!)、民衆に対して予測できない影響力もありますから、為政者からすると警戒すべきものとしていつでも排除できるようにしておきたかったのかもしれません。

参考 中世ヨーロッパ放浪芸人の文化史 マルギット・バッハフィッシャー著

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