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雅楽の明治撰定譜 文化的な撰定作業の原則

ウイキペディア「雅楽」の項、「明治撰定譜」に関する説明部分なんですが、ものすごく気になることが書いてあるんです(‘;’)。特に下線のところ。

「明治撰定譜に収録され、現在演奏されている曲は現行曲と呼ばれ、唐楽103曲と高麗楽32曲がある。現在楽譜が残っているが、明治撰定譜にない雅楽の曲は遠楽と呼ばれ、現代では稀に復曲されて演奏されることもある。」

「明治時代に入ると、明治政府によって三方楽所や紅葉山楽所の楽人が東京へ招集され、雅楽局(後の宮内省雅楽部)が編成された。 しかし各楽所・楽家によって演奏方法や舞の振り付けが異なっており、伝承されていた楽譜や曲目にも差があった。そこで無用な軋轢や演奏に際しての不都合を避けるために急遽これらを統一する作業が行われた。このとき楽曲の取捨選択が行われ、明治選定譜と呼ばれる楽譜が作成された。明治撰定譜の楽曲がどのような考え方で選ばれたのかは不明である。明治撰定譜の作成後は選定曲以外の曲の演奏を行わない事になったため千曲以上あった楽曲の大半が途絶えたとされている。 しかし、江戸時代後期には既に八十曲あまりしか演奏がなされていなかったとの研究もあり、この頃まで実際にどの程度伝承されていたかはよくわかっていない。」

明治撰定譜に記載された曲(唐楽103曲と高麗楽32曲の合計135曲)だけを演奏することにした結果、千曲以上あった楽曲の大半は途絶えたとされているって、なんか耳を疑う話がさらりと書いてあるのですが、えっ、そんなもったいない!

絶滅危惧種中の重要なもの135種を集めた結果、重要でない1000種は絶滅しました…というのは環境保護的な発想なら、あってはならないことというのはもう世界の常識だと思うのですが、音楽などの文化遺産だって一度消えたら戻らないのは同じこと。どんな音楽もそれぞれの歴史的経緯と人々の思いを運んできたもので、歴史資料や文化遺産として全部貴重なデータのはずです。

例えば古事記や日本書記の編纂が行われた時代にも、編纂から排除された各地の様々な神話や伝承が大量に消えたかもしれず、そういう文化的な選定に伴う絶滅は歴史上何度も起きているのかもしれません。

そこで、文化的な選定作業の前提として、①集めた原資料の保存(データベース化)、②保存したデータの一般公開、③選定目的と選定基準と選定経過の公開、④データベースの民間利用の自由、というのを原則にしてもらいたいと思うしだい。

量子コンピューターも登場してくる時代、データを制限して整理するという古いやり方から脱皮するときが来ているようにも思います。

 

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