前回の、後鳥羽上皇は琵琶をスピリチュアルな楽器にして、天皇の霊性の証明にしたかったんじゃないか、という話の続き。
天皇の霊性の証明のためには、元々三種の神器があります。三種の神器とは、鏡=八咫鏡(やたのかがみ)、玉=八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)、剣=草薙剣(くさなぎのつるぎ)の三種。この三種の神器はどれも霊力を持つ宝器と考えられて、天皇家の権威や威厳、存在の高貴さと信頼を象徴する威信財(いしんざい:格式のある物を持っているからこそ権威があるとされるもの)として、代々引き継がれてきました。
ところがです。1183年、源氏の入京により平氏は三種の神器を持ち出して安徳天皇(後鳥羽天皇の異母兄)を連れて都落ちしたため、後鳥羽天皇は三種の神器が手元にないまま即位するという前例のない事態となってしまいます。源頼朝は安徳天皇と三種の神器を平氏から取り戻して、後鳥羽天皇への引き継ぎを完了させる予定だったのですが、1185年3月24日の壇之浦の合戦において、平清盛の妻時子が草薙剣を持って入水し、按察局は安徳天皇を抱いて入水し、草薙の剣も安徳天皇も永遠に失われてしまうのです。天皇を天皇たらしめる三種の神器のひとつが紛失したというのは、日本の国の正当性の根源が失われたということを意味し、天下を揺るがす大事件だったのですが、壇之浦の合戦を指揮した源義経はその重要性をあまり理解していなかったとも言われています。草薙の剣の紛失の知らせを聞いた源頼朝は衝撃のあまり絶句したとか。そして三種の神器がそろわないことに確定した後鳥羽天皇は「神器を持たない天皇」という烙印に終生苦しんだと言われています。そして、この「神器を持たない天皇」というコンプレックスが、後鳥羽上皇をして、琵琶の霊性へのこだわりへと向かわせた原因であったのではないでしょうか。
つまり、宝剣に代わる威信財として神秘の琵琶「玄上」に可能性を見出し、皇室代々の宝剣の継承に代わるものとして秘曲伝授を通した密教的真理の継承に正当性の可能性を見た、ということのように思われます。
こうして、平家滅亡・安徳天皇の入水・草薙の剣の紛失という歴史を背景に、琵琶の神格化と琵琶音楽の仏教的神秘化という流れが後鳥羽天皇によって作られ、以後天皇が弾く楽器が琵琶に転換していくことになったのではないか、というのが私が想像しているところです。
次の動画は、安徳天皇を祀る壇之浦の赤間神宮にて、平家物語を語る琵琶奏者に出会うという趣向の動画です。
琵琶法師が平家物語を語って安徳天皇と平氏の霊を鎮魂をする芸能が日本に生まれ、後の語り物音楽や演劇や文芸等の大きな基礎になっていきますが、これも後鳥羽天皇が琵琶を神秘化したことと、もしかしたらどこかでつながっているのでしょうか。