以前、雅楽はこの1000年の間に曲によっては10倍以上もゆっくりになるという大変化を遂げている、という研究のことについて書きました。→ https://ittosya.net/manobi
他方、「雅楽は1200年以上も前から日本の宮廷音楽として形を変えることなく今日まで大切に受け継がれてきた」というふうにも言われます。
この「大変化した伝承」と「変わることのない伝承」という矛盾する説明をどう理解すればよいのか、というのが長らく私の中の疑問としてあったのですが、もしかしらた、平安時代から江戸時代まで歴代天皇自身が雅楽演奏に参加していたということが、その謎を解くひとつの鍵かもしれません。
代々の天皇が、帝王学として雅楽の楽器を学び、琴、笛、琵琶、笙などを手に、折に触れて雅楽の演奏に参加する伝統が平安時代から江戸時代まで続き、天皇が演奏する曲目の中には「秘曲」と言われる特別な伝承曲もあって、秘曲の伝授はある種の霊性の伝授として天皇の権威を高める面があった、ということを前回書きましたが、このような霊性の伝授という面では、秘曲の演奏法の厳密正確な伝授が重要視されることになり、ここから「1200年変わることのない伝承」という雅楽の不変性・普遍性と言う考えが生まれるように思います。
他方、歴代天皇の中には、雅楽の演奏に熱心な天皇もあれば、帝王学として一応楽器を学びはするものの、あまり熱心でなかったり、音楽に堪能ではない天皇もたくさんいるわけで、そのような初心者レベルの天皇でも儀式の雅楽合奏に参加できるようにするためには、演奏の速度を下げて天皇のレベルに合わせるということが必然的に起きてくるのではないでしょうか。そのようなことが1000年以上繰り返された結果として、著しい低速度化という現象に繋がったのかもしれません。そして、演奏速度を下げても、演奏手順や形式が維持されれば伝承は守られたという理解をすることで、「変化」と「不変」の矛盾に、概念的な折り合いを付けてきた歴史の可能性がありそうに思います。
またもうひとつ考えられるのは、「秘曲の伝授」という考え方の中に、「伝授は口伝による」という考え方があることです。師と弟子との特別な関係性の中で、特別の機会を選んで、非公開で、口頭で秘密を直接に伝えるという伝承形式自体の中に、永遠に変わらない伝承という要素と師と弟子の関係性で伝承ごとに変化する要素の両方が内在しているように思えます。
このようなことで、雅楽の変化と雅楽の不変というふたつのことが同時に起きた歴史かもしれないと想像しています。