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日本にはじめてやってきた西洋楽器 記録に残らないようなもの

日本に入ってきた西洋楽器の最初の記録は、ザビエルが山口の大名大内義隆に献上した13品目の中にあった、クラヴィコードと考えられる楽器ですが、日本に来たポルトガル船には、船員が使用するためのもので公式記録に残りにくいような楽器もあったようです。そういうものは、エピソードの一部としてふと顔をのぞかせることがあります。

例えば、ザビエルが1551年に豊後藩主大友義鎮(宗麟)の招きで豊後(現・大分県)へと赴いた際、船長のドアルテ・デ・ガマは、その行を盛んにするために、本船から三艘の小船を出し、「絹旗を立てて、シャラメラとフラウタとの音楽を奏して進んだ」ということです。

シャラメラ(charamela)とは、英語ではショームと言われる、縦型の二枚リードの木管楽器。大きな音で鳴る楽器です。ご存じ日本のラーメン屋のチャルメラの語源。ルネサンス時代のシャラメラの写真はこちら☟です。冒頭の写真は地域は異なりますが相良土人形のチャルメラ南蛮人。

それからフラウタ(flauta)とは、今でいうフロートで、リードのない笛と思われます。

これらの楽器は、船に積載するのに適したコンパクトさで、船内楽器として船員が使用するものだったのでしょう。性質上記録化されないようなこれらの小さな楽器が、日本に一番最初に上陸した西洋楽器だったかもしれません。

 

※ ザビエルの大内義隆への献上品は13品目。ポルトガルの貨幣単位で200クルサド相当の価値。『聖フランシスコ・デ・サビエル書翰抄 上巻』(アルーペ神父・井上郁二訳、岩波文庫)

内訳は、大きな箱型時計(ゼンマイ仕掛がはいってゐて、それが規則正しく十二部に分れ、正確に昼と夜とを示すもの)、グラヴィコードと考えられる楽器(十三の琴の糸弾かざるに五調子十二調子を吟ずるもの)、老眼鏡(二つのガラスがはめ込まれてゐて、それを用ひると、老人が若い者と同じやうに、物を明瞭に見ることが出来るもの)、鏡(平滑な板で、そこには少しの陰もなく顔が映るもの)、火縄銃(贅沢に装飾され、三つの銃身を有する火縄銃)、非常に美麗な水晶ガラス数個、緞子製品、ポルトガルの葡萄酒、書籍、絵画、コーヒー茶碗等。