1890年代にハワイからアメリカ本土にウクレレが渡り、1910年代にはアメリカでハワイアンミュージックが人気になります。サンフランシスコで1915年に開催された「パナマ太平洋博覧会」でハワイのメーカーのジョナ・クマラエのウクレレが金賞を受賞したこともあって、ハワイアンブームにはずみがついたようです。1920年代にはアメリカ本土にウクレレブームが巻き起こり、1930年代にはウクレレ人気はハワイアンミュージックの殻を破り、ほとんどのピアノの楽譜にウクレレのコード図が掲載されるほどになります。
1920年代の演奏☟
1930年代の演奏 ☟
1940年代~1960年代☟
アメリカ本土でウクレレによる楽しい音楽文化が育ちました。1920年代は女性が弾く場面が多く登場し、アマチュアの女性が気軽に弾ける楽器という位置づけが見られます。また楽器が屋外や旅に持ち出されるという場面も多数見られ、新たな音楽文化の息吹が感じられます。1930年代には男性コメディアンが弾いている場面がずいぶんあり、転んでウクレレをわざと壊してみたりというお笑い小道具化が見られます。他方演奏の技巧化という方向も進んでいます。歌の伴奏楽器として自由自在な取り回しの良さも注目点です。ブルース、ジャズなど、人種の枠を超えた広がりも見られます。
1920年代のウクレレを見ると、ソプラノサイズが人気のようです。小さくて薄く、ウスレレのようなフォルムも見られます。8弦ウクレレの姿もあります。