ウクレレ豆話

植民地のサトウキビとギター文化圏

サトウキビの栽培が始まったのは8世紀のエジプトからで、それがイスラム圏に伝わり、さらに十字軍によってヨーロッパに伝えられました。そして、地中海の島々であるキプロス、クレタ、シシリーなどで栽培が始まりました。砂糖は「白い金」とも呼ばれ、王室の花嫁の持参品になるくらいぜいたく品で、地中海での生産量はまだそれほど多くありませんでした。

16世紀に入ってポルトガルとスペインによる大航海時代が始まると、サトウキビの大規模生産が始まります。征服した土地でのサトウキビプランテーションの植民地経営が始まったのです。サトウキビの栽培と精製には、大量の労働力と土地と燃料が必要であるため、現地民の強制労働と奴隷貿易と森林破壊とモノカルチャーによる文化破壊が引き起こされました。

このようなサトウキビプランテーションが広がった地域をあげると、まずアフリカ沿岸の島々のマデイラ島、サントメ島、カナリヤ諸島、アゾレス諸島から始まり、ついで、アメリカ大陸付近の西インド諸島の島々であるエスパニョーラ島、キューバなどに広がり、その後南アメリカ大陸に上陸してブラジルなどに広がりました。さらにアジアでは、インドネシアのジャワ島などにも大規模なサトウキビプランテーションが作られました。

これらの土地で、強制労働・奴隷労働・森林破壊・文化破壊が極限まで行われたのですが、その収奪と破壊の後には、なぜか大小様々なタイプのギターとその音楽文化が残った地域が多いようです。

たとえば、マデイラ島には4弦小型ギターのブラギーニャと5弦小型ギターのラジャンが残りましたし、カナリヤ諸島には5弦小型ギターのティンプレがありますし、アゾレス諸島には12弦~15弦ギターのヴィオラ・ダ・テラとヴィオラ・ダ・テルセイラがあります。エスパニョーラ島には今に伝わる独自ギターは特に見当たりらないものの、コロンブスによってビウエラとルネサンスギターが運ばれたという記録が残っています。キューバには、3コース6弦のトレスというギターとそれを使うソンの音楽が残っていますし、インドネシアには5弦のクロンチョンギターとそれを使うクロンチョン音楽があります。

これらは、おそらく15世紀頃にポルトガルとスペインで広がったギター(ルネサンスギターとビウエラ)による音楽文化が源流になった可能性が高いと思われます。そこにアフリカやインドネシアのリズムや伝統が融合して、独自のギター文化圏がサトウキビプランテーションに重なって広がった可能性がありそうです。

さらに時代が下って19世紀に入ると、ハワイでのサトウキビプランテーションの働き手となるために、マデイラ島から大量の移民がハワイに渡り、そのときに4弦楽器のブラギーニャと5弦楽器のラジャンがハワイに伝わって、そこからウクレレが誕生していくことになります。ウクレレもやはり、サトウキビプランテーションの広がりの中で生まれてた楽器と言えます。

折しもハワイには、日本からも大量の移民があり、日本人移民の多くは、やはりサトウキビプランテーションの労働力となりました。1920年にはハワイの日系人比率は40パーセントを超えており、既にハワイに広がっていたウクレレ音楽文化は、これらの日系人にも深く浸透したものと思われます。現在の日本でウクレレの文化が広がっている背景には、こうしてハワイの日系人の影響も小さくないと言ってよいでしょう。

サトウキビプランテーションとギター音楽文化圏、こういう視点で見てみると、ギター音楽文化に新たな側面が見えてくるのではないでしょうか。ギター文化の広がりには、ヨーロッパを中心とした支配者側の広がりと、植民地を中心とした被支配者側の広がりがあるようです。従来、バロックギター、19世紀ギター、古典ギターなど、前者の支配者側の広がりに関心が向きがちでしたが、実は後者の被支配者側つまり植民地側の広がりが、世界の音楽文化に大きな影響を及ぼしているように思えます。

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