日本各地の町村に古くから伝承されてきた芸能(門付け芸、神楽、雨乞い、獅子舞、様々な祭り)は、毎年同じ時期に同じ形で反復されるのを常としてきました。そこには毎年同じことを反復することに価値を置くという音楽のひとつのあり方が見えます。
このような反復芸能が生まれる要因はいくつかあるだろうと思います。
・農林魚業は四季に従う産業であったために、それらの産業の成功を祈ったり感謝したりという芸能は、自ずと四季のサイクルに従って反復されることになった。
・豊作豊漁などの成功体験を定着させたいというジンクス(呪術)の心理から、成功体験の時にやっていたことの繰り返しが好まれ、やがて伝統として聖化されるにつれ、少しでも変えることが不謹慎とみなされるようになった。
・農山漁村は古くは文字文化ではなく口承文化で、ことに芸能は文字による記録化になじまない分野であり、毎年の反復こそが継承を可能にする記録化の方法であった。
このような反復性が、数百年も同じ芸能が継承されることを可能にし、村落の価値観の核を作り、次世代に引き継ぐ教育的役割を果たしたと言えるでしょう。その反面、時代が変わっても何も変えず、新しい試みをする者を潰したり、新しい風を持ち込む外来者に壁を作ったりという村落特有の閉鎖性と硬直性の原因になったことも言えると思います。
芸能の反復を好む文化は、皆が同じであることを好む同質性の文化に繋がり、それは日本の農村に非常にマッチしていまた。他方世界には、反復を好まず常に新しい芸能を生み出そうという新規性の文化があり、それは一人ひとりが異なることに価値を置く多様で自由な文化に繋がります。
この芸能のふたつの方向性は対立的に見えますが、芸能というひとつの力を分解した二方向のベクトルです。二方向のベクトルがあってこそ、芸能を舞う舞台の広がりができるというもので、そのバランスを取りながら華麗に舞うのが新芸能の楽しさでしょうか。