あれこれいろいろ

お供え系音楽

上の写真はインドネシア、バリの神殿に捧げられた供物です。

インドネシアは供物の国だそうで、儀式の場はもちろんのこと、生活の中でも供物をささげることが日常茶飯事なのだとか。例えば、新品の冷蔵庫からガタガタ異音がすると、「しまった冷蔵庫にお供えするのを忘れてた」などと思って、果物をお供えしたりするそうです。

インドネシアでお供えに提供されるのは果物や線香などの物ばかりではありません。音楽も踊りも演劇も様々な娯楽芸能も、みんなお供えという感覚があるのだとか(同時に自分たちの楽しみでもある)。インドネシアの音楽は、お供えのための音楽体系とも言えそうです。

お供えの相手は、神々、精霊、祖霊、動物霊など、人間を取り囲むあらゆる天と地の霊なるもの。それはすなわち現代的な表現で言えば、人を取り囲む環境の全体ということかもしれません。恵みの源泉であり災害の源泉でもある全環境と考えれば、冷蔵庫なども機械類も人の生活を成り立たせる大切な環境のひとつですから、お供えの相手になるのは自然なことでしょう。

それにしてもお供えって一体なんのためにするのでしょう。日本でも食べ物やお酒などを仏壇に供えたりしますし、神社では様々な物や芸能などを奉納したりしますが、その時の気持ちを考えると、祖先の霊や神々に喜んでもらうため、満足してもらうため、安心してもらうため、そして自分や家族を害さないでもらうため(祟らないでもらうため)、さらに積極的に守ってもらうため、願いを叶えてもらうため、という感じでしょうか。

天地に満ちる力あるものに、喜んでもらい、満足してもらい、安心してもらい、そうすることで害を防ぎ、守ってもらい、願いを叶えてもらうための音楽。そういう音楽ジャンルは教科書の分類には出てこないかもしれませんが、世界中に広がる、おそらく人類最古級のジャンルです。

お供えの極端なのは、人身御供やいけにえです。旧約聖書には動物のいけにえが何度も出てきますし、アブラハムがわが子イサクを殺して神に捧げようとする話も出てきますし、イエスが人類の罪を負って十字架にかけられるということも同じ発想を含んでいるかもしれません。いけにえは中南米のインカやアステカでも大規模に行われていたことは有名です。古事記では、事代主神が海に身を投げて津波を抑えるとか、八岐大蛇にイナダ姫が捧げらけるのをスサノオが救ったなどのエピソードが出てきます。

荒ぶる環境に囲まれて、人が何とか自然力と折り合いを付けようとして、捧げもの、お供え物というシステムが世界中に生まれているようです。そして人の命を捧げるいけにえが人類の悩みの種にもなっていたことは、世界中の様々な神話や物語からうかがい知れます。

人や動物を捧げるのはおそろしいし、神社に戦争の絵などが戦勝祈願として奉納されたりしていますが、あれもやっぱりおそろしい。

音楽や踊りや芸能を捧げるというのは、荒ぶる環境を平和に整えるお供えとしては、さまざまなお供えの中でも最上の選択なのでは(^^♪。なにしろ、神々も祖霊も精霊も含んだ環境の全体が喜んだ上に、自分たちも一緒に楽しむという発想なんですから。環境にも人間にも優しい文明を模索している現代人にぴったりです。

インドネシアの音楽システムはそんなお供え系音楽の究極洗練タイプかもしれません。