あれこれいろいろ

天保の改革の寄席規制 ここでもやっぱり 老中水野vs遠山の金さん

昨日の話は、老中水野忠邦が北町奉行遠山の金さん(遠山金四郎、遠山景元、上の肖像)の反対を押し切って歌舞伎や浄瑠璃などの芝居町を江戸中心部から締め出して浅草に強制移転してしまった話でした。そして庶民の娯楽は風紀を乱す元と考える水野が、もうひとつ廃絶したいターゲットは寄席でした。

当時の寄席は、現代のような話芸ばかりでなく、浄瑠璃(特に女浄瑠璃が盛ん)、小唄、軍事読み、手妻(手品)、八人芸、説教祭文、物まね尽くしなど、芝居以外の音楽や演芸の総合展示場みたいなもので、そこから名前は「寄せ場」、略して「ヨセ」と呼ばれ、入場料は30文と歌舞伎に比べると圧倒的に安く、夜間興行も多かったため庶民の日常の気楽な娯楽場として大人気、天保13年には市中に211軒、寺社境内に22軒の寄席を数えたという盛況ぶり。

この寄席の盛況を風紀を乱す原因と考える老中水野は、天保12年寄席全廃を主張。対して北町奉行遠山金四郎は、寄席の風紀取締り自体には積極であるものの、寄席全廃には強く反対し、次のような反対意見を提出します(青文字の現代語要約だけ読んでもいいです)。

「町人ども世渡りの職業等は数多き事に御座候えども、大工左官を始め、諸職人並びに日雇稼ぎ・棒手振、あるいは店ものと唱え呉服屋そのほか大店の召使い、若ものども等、銘々その工商を怠りなく相稼ぎ候ものども、芝居町・吉原町等の遊興致し候ほどの身柄にこれなき身薄きものは、いささかにても有余をもって各好むところにしたがい候ことにて、別して外稼ぎのものどもは、雨天等休みの節は身にもちあつかい候間、軍事講談・昔咄しの類等の慰め御座候は、御治世の御余沢は勿論の儀、銘々その日々の労を慰め候は、一張一弛の緩急にて、先々悪事に随染仕らず、右等を相楽しみ候儀、放逸無慙に流れやすき下賤のものどもには、殊勝とも申すべきことやに存じ奉り候、(中略)その日々の利徳は、家内扶持の外はまず酒食遊興に遣い、それを便りに渡世致し候事ゆえ、寄場の類一切禁止廃絶仕り、慰め筋を厳しく相制し候わば、かえって閑隙の余りには善事は謀らず、先ずは酒興に耽り、隠し売女等の念慮に移り、又は専ら賭けの諸勝負相募り、博奕等の一途に傾き、罪人のみ多く相成り申すべき哉、却って御処置にも当たりまじく存じ奉り候」

要するに、「町人たちは、職人や日雇いや物売りや奉公人などの仕事で怠けることもなく稼ぎ、芝居町や吉原で遊ぶほどの余裕はなくても、雨の日や仕事を終えた夜などに、寄席演芸を楽しんで気を晴らし、慰めを得、適度な張りとゆるみを調節しながら、先々悪事に染まることもなく楽しんでいるのは、放逸に流れやすい下賤の者どもには、殊勝なえらいことではないでしょうか。日々の稼ぎで家内を養いつつ、酒食と遊興費を捻出するのを楽しみに暮らしているのですから、寄席を一切廃絶して、慰めの場を厳しく奪ってしまうのは、悪い方向にばかり気が向くことになってしまったり、賭け事に走ったり、罪人を多くしてしまうことにもなりかねず、却って効果がないように思います」という内容です。

遠山の金さん、町人の暮らしぶりに理解と愛がありますね。この文章には、将軍様にも庶民の暮らしや心の持ちようがわかるように丁寧に書こうという苦心のあとがうかがえます。この文章がなければ、将軍様は老中水野から聞く、寄席がひどく乱れてけかしらぬという情報だけをうのみにしてしまうでしょうから、非常に重要な情報提供です。

この文章を見た老中水野忠邦は、またしても邪魔だてする遠山金四郎に、さぞかし腹立たしい思いがあったのではないかと思いますが、寄席全廃論は多少譲歩し、少しばかり寄席を残すことにしました。それでも寄席統制は次のようにかなり厳しい内容で実行されることになりました。

・市中の寄席211軒を15軒、寺社境内の寄席22軒を9軒に減らす。

・寄席芸は、神道講釈、心学講和、軍事講談、昔咄の四種に限る。

・寄席への女性の出入り厳禁

・咄しの中に三味線太鼓などの鳴り物を入れることの禁止

これでは、寄席とはもう名ばかり、娯楽場としては成り立たない内容で、寄席人気は火が消えたような状態になります。

ですが、老中水野が改革に失敗して失脚すると、寄席人気はすぐに復活。天保の改革から十数年後の安政期(1854~1860年)には、寄席の数は392軒と、天保期を上回る数に復活します。

めでたしめでたし、かと思いきや、その約十年後の明治2年(1869年)になると、明治新政府が、風俗統制のために、寄席における「演劇類似興行禁止令」を出して、鳴り物や伴奏を入れた華やかな演目を禁止し、芝居がかった演出を禁じるという統制をまたやるので、明治になっても、芸能に対するお上の感覚は旧態依然です。遠山金四郎のように人々の暮らしに理解と愛のある人は、政治の世界ではなかなか出てきにくいのでしょうか。

参考・江戸時代の古文書を読む 天保の改革 徳川林政史研究所監修 東京堂出版

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