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花街の負のイメージの払拭

花街は、1872(明 治5)年の芸娼妓解放令、1947年の労働基準法、1957年の売春防止法などの法規制を経て、次第に負の側面を払拭していきますが、その起源において多くの負の側面を伴っていたことは確かです。性の売買、人身売買、借金人質的年季奉公、厳しい内部拘束、国家公認の公娼制度等の問題です。

次の動画はその光と影をわかりやすく解説しています。なお、遊郭と花街、娼妓と芸妓は歴史的に必ずしも同じものではないので安易に同一視すべきではありませんが、両者の境界があいまいであったことも事実です。ただし、現在の芸どころとしての花街は、遊郭や娼妓と一線を画す別の存在になっていることは、そこで真剣に学び誠実に働いている人々の名誉のためにもはっきり認識しておくべきでしょう。

さて、現在の花街を、負の歴史の延長上で見るか、負の歴史から脱却した新生花街として見るかで、随分異なる色彩を帯びて見えてくることでしょう。どちらの視座に軸足を置くかで、花街に継承され発信されている音楽への評価も変わってくるのかもしれません。

しかし考えてみると、日本のほとんどの伝統音楽ジャンルは、平安時代までさかのぼる被差別階級と密接に結びついており、多かれ少なかれ光と影の両面を濃厚にはらんでいるのです。

京の花街が、伝統芸の教育、継承、表現、国際的な発信の場として、負の要素を払拭して新生していく過程は、日本の伝統音楽動向全体を考える上で、学ぶべきところがたくさんあるように思います。