海を渡った小型ギターたち

ウクレレ音楽に融合しているいろんな文化

ハワイのウクレレ音楽には、世界のいろんな文化が融合していると思います。

まず第一はもちろんハワイのポリネシアの文化です。上の写真は、その民族的移動経路ですが、ポリネシア、ミクロネシア、メラネシア、東南アジア、中国南部など、極めて広範囲な文化があることがわかります。キャプテンクックがタヒチから連れて行った通訳がハワイ人と会話ができたという話とか、ハワイのカラカウア王が世界旅行をした折には、シンガポールの近くのジョホールという小国のパーティで、相互の言語が非常に似ていることから、「これは長いこと離れ離れになっていた兄弟の再会である」と喜び合ったという話などがあります。

第二に、ポルトガル人を通して流入してきたイベリア半島の様々な民族文化です。イベリア半島はヨーロッパの西の果てなので、必然的にヨーロッパの様々な民族がここで衝突したり融合したりすることになったようです。紀元前3世紀以降支配した古代ローマのラテン文化があり、ケルト人やギリシャ人の流入があり、5世紀にはゲルマン人の一派のゴート人の王国ができ、バスク人やフランク人の王国もあり、さらにユダヤ人やジプシーも流入し、ヨーロッパの様々な民族のジュースみたいです。その攪拌されたジュースの中で育まれた音楽と楽器と演奏家と楽器製作者が、移民船に乗って一気にハワイに上陸し、ハワイの文化と融合してウクレレ文化が生まれてくるわけです。

また、イベリア半島は700年にわたりイスラム王朝に支配され、イスラム音楽が非常に盛んであったことから、このイスラム音楽のエッセンスも一緒に渡ってきていると言えるでしょう。

それから、リリウオカラニ女王は160曲以上もハワイ音楽を作詞作曲していますが、女王はハワイの教会の音楽監督兼オルガニストをしていたそうですから、女王を通じて19世紀の教会音楽のエッセンスも流入していると言えそうです。

その後ハリウッドでハワイアンミュージックが脚光を浴びると、ハリウッドの文化が流れ込み、ハワイにサトウキビ栽培の労働者として移民してきた日系人の二世や三世の間に優れたウクレレ奏者が出てくると日本的なものも流れ込みます。

というわけで、ウクレレのすごいところは、世界中のいろんなエッセンスが入っているというところです。現在世界中でウクレレが受け入れられているのは、こういう歴史的背景があってこそなのかもしれません。

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