あれこれいろいろ

雅楽と淫楽 太宰春臺の淫楽禁止論 明治から現代への影響

江戸時代中期の儒学者太宰春臺の音楽論の続き。

太宰は、雅楽と淫楽の二分法の論理で次のように言います。

淫楽を聴けば、心蕩て淫佚にながれ、雅楽を聴けば、心正くなりて中和に合ふ」

「淫楽世に行はるれば民の風俗頽れ、雅楽世に行はるれば民の風俗正くなること古今これ同じ」

「風俗を移し易るものは楽なるゆえに、風俗を保つものも楽なり、されば国家を立るには初に雅楽を作て世に行ひ、淫楽を禁じて民間に用ひざらしむる、これ王者の要務なり」

また、経済禄には、「俗楽」という言葉もよく出てくるのですが、これと「雅楽」「淫楽」との関係は、古代の賢明な王が作った音楽又はそれを継承する音楽がすなわち「雅楽」で、民間から生まれる様々な音楽は「俗楽」で、俗楽の中でも内容が雅楽から離れたものが「淫楽」という位置づけのようです。そして、時代が下るほど、世の中は雅楽がすたれて淫楽ばかりになっているという現状認識から、国家が雅楽を用いず淫楽を禁止しないからこのようになったと警鐘を鳴らし、次のように法制を整備し規制すべきと主張します。

「説教浄瑠璃には古人の孝悌忠信の事のみを作て、今時の淫乱猥褻のことを言はず、歌舞伎狂言にも、人倫の道を害する様のことをなさず、里巷の歌謡も鄙俚猥褻のことを禁じて、淫民の防を固くせられば、風俗も淳朴に復り、国家長久の基なるべし」

というわけで、世間にはやる淫楽の禁止論になるのですが、この太宰の考えはなんと200年後に引き継がれます。明治政府の音楽教育方針に大きな影響を与え、三味線、浄瑠璃、端唄、清本、常磐津等のそれまでの邦楽が下層社会に流行する「淫楽」として排斥され、音楽教育で排除排撃されていきます。

現在の日本人は、これらの三味線音楽等の邦楽を、今の音楽として日常的に鑑賞したり演奏したりする感性を持っていません。それはもしかしたら、儒学の音楽観を基盤とした明治から昭和までの音楽教育によって、いつのまにか作られてしまった感性なのかもしれません。