梁塵秘抄には、仏教法話的な今様の歌も数多く収録されています。目次によれば、540以上の仏教的な今様が収録されていたようです。残っている例をいくつか挙げますと、
「観音深く頼むべし 広誓(ぐぜい)の海に舟うかべ 沈める衆生引き寄せて 菩提の岸まで漕ぎ渡る」
「よろづの仏の願よりも 千手の誓ひぞ頼もしき 枯れたる草木もたちまちに 花咲き実生ると説いたまふ」
「瑠璃の浄土はいさぎよし 月の光はさやかにて 像法転ずる末の世に あまねく照らせば底も無し」
「四大声聞いかばかり 喜び身より余るらむ 我らは後世の仏ぞと 確かに聞きつる今日なれば」
「大品般若は春の水 罪障氷の解けぬれば 万法空寂の波立ちて 真如の岸にぞよせかくる」
「仏も昔は人なりき われらもついには仏なり 三身仏性具せる身と 知らざりけるこそあはれなれ」
「妙見大悲者は 北の北にぞおはします 衆生願ひを満てむとして 空には星とぞ見えたまふ」
「われらは何して老いぬらん 思へばいとこそあはれなれ 今は西方極楽の 弥陀の誓ひを念ずべし」
全体に見て、とてもわかりやすい。現代の感覚で、すっと読めるものがたくさん見つかります。
また、罪多い衆生もやがては救われるぞ、という明るい未来の展望が得られる歌が多いように思います。
難しい言葉のものも、今様のリズムで何度も口に出して歌っていると、自然に仏教の世界観が体感としてしみてくるような感覚があります。短詩であることによって焦点ががはっきりし、定型的な慣れ親しんだリズムであることも理解を助けているようです。難しい言葉も、あまり考えこまずに流行歌として何度も口ずさんでいるうちに、何となく理解していることも多かったことでしょう。宗教的な時間を割く余裕もない人々も、今様という流行歌は、自然に仏教の世界に引き寄せたことと思われます。
今様は、仏教の民衆化に、大きな力があったのではないでしょうか。