あれこれいろいろ

春駒その6 賎民とされる人が春駒を担ったわけ

春駒の門付をして歩いた旅芸人は、士農工商の階級に入らない賎民(穢多、非人)とされた人々だったそうです。どうしてそういう人たちが予祝というおめでたい芸能を担ったのでしょうか。

実は賎民と言っても、元をたどれば重税等で困窮して農業を捨てざるを得なかった離農者が多く、農村と全く無関係な者ではなかったようです。生活をしていくために、穢れ仕事を引き受けることが多く(伝染病死者の火葬、汚物掃除役、警備、犯罪者の逮捕、動物死体の処理、そこから派生して毛皮細工や太鼓作りなど手工芸)、罪や穢れに関連するものに多く触れるということで穢多という名前にもつながりましたが、反面穢れを取り去ってくれる人でもありました。さらに乞食の手段として自然に芸能をこなすようになり、農業や養蚕の知識経験も持つものも多く予祝芸を行うのに適していました。また新年に訪れるその姿は、時を定めて常世からやってくる神霊=まれびとのイメージとも重なりおめでたくもありました。賎民の人たちは普段から祭りの準備や警備、神社の掃除などを行いハレの時空に関わる人たちでもありました。流し雛に災いや不幸を付けて流してしまうように、旅芸人に不幸を背負わせて去らせて自分たちを浄めるという、都合のよさもありました。

このようなことが合わさって、差別されつつ喜ばれ、穢れつつおめでたいという旅芸人の姿となったようです。

年に一度やってきて穢れを持ち去り、一年の祝福もしてくれるというのですから、神社出張サービスのような便利さです。本当は皆からただ感謝されて良いようなものですが、持つもとの持たざるものの分離の中で生まれた農村離脱者であったという出自のために、罪も穢れも汚いものもあらゆる不都合を押し付けることができる都合のいい人たちとなって、階級が固定化され差別が永続化することとなったのでしょう。

放浪民族であるジプシーも、踊り、音楽、占い、手工芸などをなりわいとして、穢れの観念も強く持つなど、かなり似たところがあります。被差別民共通の力学がひそんでいそうです。人種差別、女性差別など、根強く残る様々な差別にも関連構造がありそうです。

穢多非人など賎民の問題は、日本の思想史・日本の生活史の文脈で分析されることが多いですが、世界に広がる差別の構造という人類全体の文脈で見る必要もありそうです。そこには神と権力の概念もぴったりと寄り添っています。聖なるものを集中させた神と権力の裏で、そこから排除されて行き場を失った罪や穢れが差別として投影されるからです。芸能や音楽の根っこの一本はそこにありそうです。

参考・旅芸人のフォークロア 川元祥一著 ・ウイキペディア ほか