あれこれいろいろ

春駒その3 歌の内容 予祝

群馬県利根郡川場村門前の春駒唄の採録です。

「(前唱)さあさあのりこめはねこめ蚕飼の三吉/のったらはなすなしっかとかいこめ

(本唱)春の始めの春駒なんぞ/夢に見てさえよいとや申す
申してうつすは良女が駒よ/年もよし世もよし蚕飼もあたる
蚕飼にとりては美濃の国の/桑名の郡や小野山里で
とれたる種子はさてよい種子よ/結城だねか茨城だねか
たやで豊原筑前こだね/みとこのたねを寄せや集め
かゆめ女郎衆にお渡し申す/かゆめの女郎衆は受け喜んで
はかまはかなるはつぱたなんぞ/手にかえきりりとしたためこんで
左のたもとに三日三夜/右のたもとに三日三夜
両方合わせて六日六夜/六日六夜のその間には
暖め申せぱぬくとめ申す/三日に見初めて四日に青む
五日にさらりとおいでの蚕は/おいでがよければはくべき種子は
これより南は吉祥天の/大日如来のお山がござる
お山のふもとにお池がござる/お池の中の弁財天の※
ひともとすすきふたもとすすき/三本すすきに住んだる鳥は
鴨の雄鳥大とや申す/キジの雌鳥小とや申す
大と小との風きり羽よ/ふた羽はけば三なる羽よ
ひと羽はけば一千万蚕/ふた羽はけば二千万蚕
三羽四羽とはきましょならば/紙にもあまれぱ籠にもあまる
あまり侯やひろまり侯/さらぱこの蚕なにがな進上
桑のめぐみが良いとや申す/これより南は八反畑
八反畑はみな桑原よ/このや娘に足駄をはかせ
しまの前掛け紅染めだすき/髪も島田にこりゃんとゆうて
七九目竹のこざるをさげて/桑の若葉をお手柔らかに
しんなとたゆめてさらりとこいて/ひとこきこいては小ざるに入れる
ふたこきこいてはお宿へかえる/お宿へかえれば手でおしもんで
あの蚕にちらりこの蚕にぱらり/ちらりぱらりと進んぜてまわる
あの蚕この蚕は桑めすような/物によくよくたとえて見れぱ
昔源氏の馬屋に住みし/名馬の馬を牧場に上げる
朝日に向いては元そよそよと/タ日に向いてはうらそよそよと
食気にも似たり葉音に似たり/さらばこの蚕休みにかかる
しじの休はしんじつ蚕/竹に起きてはたかごにまさる
船の休みはふんだん蚕/庭に起きてはにわかに育つ
四度のおきふしなんくせのうて/まぶしがやとて七十五駄
まぶしも小高く織りあげこんで/まぶしに上りし作りし繭は
利根の河原や片品川の/瀬に住む小石にさもよく似たり
堅さも堅いし重さもおもし/はかりてみよとてはかりてみれば
糸繭千石に織り繭千石/種まゆ共に三千石よ
上州の国では糸ひき上手/尾張の国では繭むき上手
上手上手が寄り染まりて/三日三晩に繭むき上げて
六日六夜に糸くり上げて/七日七夜に綿かけ上がる
機織り上手にお渡し申す/昔たゆまの中将姫は
綾が上手で錦が上手/雲に架け橋霞に千鳥
梅にうぐいす織り込むときは/一反織りたる元三尺を
伊勢の天照大神さまへ/おみすにかけてうら三尺を
ところ祁ヰ士のおいなり様へ/おみすに上がりし残りし絹は
阪東つづらにしたためこんで/荷物につもれぱ七十五駄
ところではやるが大八車/大八車にゆらりとつんで
京へやろうか大阪やろうか/大阪本町ほてやが店で
荷物渡して金受けとれぱ/大判千両に小判が千両
白銀共に三千両を/大八車にゆらりとつんで
綾のたづなに綿のたづな/七福神のおてうちかけて
これを館に引き込む時は/いぬいの方に銭蔵七つ
たつみの方に金蔵七つ/合せて十四の蔵立て並べ
綾の長者に錦の長者/お蚕繁昌とお祝い申す

これが川場村門前の春駒全文です。群馬、新潟、長野など、地域ごとに短縮形があったり、挿入される地名や言い回しが異なったりしても、ほぼ同内容のものが多数存在するそうです。

ここで特筆すべきは、養蚕の過程が順を追って正確に再現されていることです。蚕種(蚕の卵)のよい場所から始まり、催青(卵から幼虫になる)、掃立(幼虫を蚕座に移す)で大量に蚕が育ち、給桑(桑の葉をたべさせる)で蚕が春の馬のようにぐんぐん食べて、蚕休(蚕は食べながら四回眠る)から上蔟(蚕を繭を結ぶ場所に移す)、そして製糸から機織となり、生糸販売で銭蔵が立つ長者の様子が描かれ、最後は「お蚕繁盛とお祝い申す」でおめでたくしめられます。

これが予祝の典型例です。養蚕の全過程がとどこおりなく理想的に進みゆく様子を言葉と体で現わして、予めお祝いします。すでにそうなったからお祝いするのではなく、これからそうなるのをお祝いするというところが、現代的な因果・時系列認識と異なるところです。このような因果・時系列認識を人々が普通のこととして受け止めていることを起点として様々な芸能が生まれているところに、日本の芸能の特質があるように思います。

つづく

・旅芸人のフォークロア 川元祥一著 農山漁村文化協会

・門付け芸受容の一断面 黛友明 文化/批評 20Ⅱ年第3号

 

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