ストラディヴァリウスとほぼ同時代のバイオリン作者に、グァルネリ・デル・ジェスがいます。
バイオリン奏者のパガニーニの話なんですが、「悪魔に魂を売った」とまで囁かれる超絶技巧の持ち主でしたが、ある演奏会の前日、ギャンブル好きがわざわいして、賭博場で有り金をすった上に、翌日使用する予定のバイオリンまで失ってしまったそうです。そこにひとりの商人がやってきて、グァルネリ・デル・ジェスのバイオリンの試奏を勧めました。勧めに応じて弾いてみたパガニーニは、グァルネリ・デル・ジェスのすばらしさに驚きました。翌日のコンサートに使用してコンサートは大成功。以後、パガニーニはそのグァルネリ・デル・ジェスのバイオリンを「カノン砲」と名付けて愛器としたそうです。
「カノン砲」というのは、大砲の名前です。大口径の砲弾を長距離まで飛ばせて、建物や城などを破壊したりする、当時の陸上戦争の最大破壊兵器です。
ここで私が思い出したのが、アコースティックギターの定番「ドレッドノート」タイプのことです。これは前にも書きましたが、マーチン社がアコースティックギターの新タイプを発売したとき、今までにないその大迫力音響に驚いた人々が、そのタイプのギターを「ドレッドノート」と呼びました。「ドレッドノート」とは、当時のイギリスの巨大戦艦の名前です。当時の海上戦争の最大破壊兵器です。
大きな音、迫力のある音に対する要求が、近代音楽のひとつの流れとして確かにあるのだと思います。それは、最大破壊兵器に例えたくなるような、魂を根底から揺さぶるような破壊的なまでの迫力ある音への欲求です。圧倒的な音楽、最大級の音楽、最高至高の音楽への欲求です。
その背景には、オペラやオーケストラなどの登場、大ホールでのコンサートというスタイルの一般化があり、大きな音、迫力のある音を必要としたということがあるのでしょう。常に一番になることを目指して競い合うというコンクールスタイルが、人より少しでも強い音を欲求させるという形で、音楽教育の場面でその傾向を補強したかもしれません。
この破壊的なまでの迫力ある音響への欲求は、現代のエレキギターや、大口径スピーカーでの大音響コンサートなどとも、つながってきているようにも思います。
でもですね…
人の欲求も大きな波のようなものですから、そろそろ静かなのが恋しくなってきてる人も多いんじゃないですかね。(*´ω`)
静けさの音楽。
そんなのもだんだん聞きたくなってきてる人が増えているような気がしますね。競い合う音楽でないやつ。最高を目指すというのとは別次元にあるようなやつ。くつろいでる音楽。山の頂点でなく、山の裾野のハイキングみたいなやつ。あんまり劇的でないやつ。
そんな感じへの欲求も人にはありますね。カノン砲やドレッドノートを聞いた翌日には、静かな劇的でない音楽もまたよかったりします。その翌日はエレキギターのコンサートで体を揺らすのもいいです。で帰ってきたら、コーヒーを淹れて、夜のひとときを静かな寛ぎの音楽も休まります。
静けさの音楽を自分で奏でてみたいときに気軽に手を伸ばせるもののひとつとして、一十舎のウスレレがそのへんに転がってるといいと思うんです。(*´ω`)