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ウクレレ登場以前の伝統的なフラは Hula Kahiko

ウクレレと言えば、フラダンスの伴奏楽器のイメージがまず浮かびますが、ウクレレの元になる楽器のブラギーニャがハワイにやってきたのは1879年ですから、案外最近のことです。西洋の文明が入ってくる前の伝統的なフラは、Hula Kahiko(フラ・カヒコ)と呼ばれます。そこには当然ウクレレもギターも登場しませんし、ハワイアンのメロディも流れません。ウクレレがハワイの伝統に融合する前のフラの姿を見てみましよう。女性バージョンと男性バージョンの動画をひとつずつ。

気品があって美しいです。ニュージーランドラグビーのオールブラックスが試合前にやるので有名になった「ハカ」と似てるなと思ったり、沖縄のエイサーと似てるなと思ったり、女性の踊りでは一瞬アイヌの踊りがオーバーラップしたり、いろいろイメージが頭の中をよぎりました。ずっと見ていたいような力強い魅力があります。

古い絵画や写真はこんなです。まずは、1816年に描かれたサンドイッチ諸島の女性ダンサーたち。☟

次は1885年のフラダンサーたち。☟

この伝統的な古来のフラは、1920年にハワイにやってきたアメリカのプロテスタント宣教師たちの影響を受けた女王カアフマヌによって禁止されてしまいます。このような異教徒の踊りは、野蛮でみだらなものとされてしまいます。なんとサーフィンも禁止されます。ハワイの重要な伝統文化が姿を消す危機がその後50年続きます。

偏狭な宣教師たちの文化破壊は困ったもんですが、フラの救世主が50年後にハワイに登場します。デビッド・カラカウア王(Kalākaua)です。この王は、ハワイの伝統復活に大きく貢献しました。またウクレレのハワイでの普及にも大きな影響を与えました。この人がいなければ、ウクレレがこれほど広く世界に普及することはなかったかもしれません。カラカウア王についてはまた次回。

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