パキスタン北西辺境のカラシュ渓谷(Kalash Valley)に住むカラシュ族は、総人口3000人ほどの小さな民族。

このカラシュ族は、金髪に碧い目というヨーロッパ的な外見の人も多く、自然崇拝的な宗教感と恋愛結婚や離婚もOKという自由な風習を持ち、カラフルな民族衣装に独自言語など、イスラムの教えと規範が支配するパキスタンの中にあって、際立った独自性がありますが、いつどこからやってきたのか謎の民族なのです。
一説には、アレキサンダー大王の東方遠征でギリシャからやって来た人々の末裔ではないかとも言われていますが、遺伝子的にはギリシャ人の特徴は見られず、むしろ騎馬遊牧民スキタイ人の流れではないかとも言われています。
スキタイ人は、紀元前7世紀から紀元前3世紀ころに、中央アジアを広く支配したイラン系の古い騎馬遊牧民ですが、紀元前2世紀ころに、中央アジアの草原を支配するようになった匈奴(アルタイ語を話すアジア系の騎馬遊牧民)に圧迫されて駆逐されていきます。この匈奴によって草原から山岳地帯に逃れた最後のスキタイ人が、険しい谷に隠れ住むことによって生き永らえ、現在まで残ったのがカラシュ族という可能性はありそうです。
あるいは、中央アジアの草原の南の乾燥地帯には、オアシス都市が点々とありましたが、このオアシス都市も遊牧民に常に圧迫されていたと言うことですから、イラン系のオアシス都市の住民が逃亡してきて、カラシュ渓谷に住み着いたという可能性もあるかもしれません。
いずれにしても、そのような非常に古い民族が山中に隔離された形で今に続いてきたとすると、そこにある音楽も極めて古い音楽が残されている可能性があるわけで、カラシュ族の音楽がどんなものなのか気になってきます。
そこでカラシュ族の音楽を検索してみると、次のようなものが出てきました。
カラシュの音楽☟
カラシュのフルート☟
カラシュのダンス↓
カラシュの歌☟
谷に住む民族というと、ナウシカに出てくる風の谷を思い出したりします。風の谷は押し寄せるトルメキア軍と腐海の虫により滅亡の危機に立ちますが、カラシュ族の文化もまた、押し寄せる都会化・イスラム化・観光化の波に襲われているのだとか。特に最近のオーバーツーリズムは激しく、祭りの時などは世界から観光客が押し寄せてものすごい人だかりになるそうです。古い民族の古い文化を守りたいものです。
参考 中央アジアの歴史 間野英二著
遊牧国家の誕生 林俊雄著