あれこれいろいろ

音楽生成AIのシンギュラリティ

音楽生成AIの音楽は、人間が作る音楽を超えるのかというシンギュラリティの問題ですが、こんな意見に集約されるようです。

超えられない説→生成AIの作る音楽は、学習したデータの平均的なものでしかなく、無から有を生み出すような飛躍的な創造はできない。ゆえに音楽生成AIは人間を超えることはできない。

超える説→AIが平均的なものしか作れないというのは、AIの初期的な通過点のことにしか過ぎない。音楽AIの学習領域が、音楽を超えてあらゆる言葉やノイズ、あらゆる知識にまで広がっていくのは間違いなく、限られた数十年の経験から創作しているだけの人間の創造性をはるかに超えていくのは自明である。ここ数年でその時はやってくる。

大きな流れとしては、きっと超えるんでしょうね。それもはるかに大きく。

でも、AIの音楽が人間の音楽を超えると考える人でも、人間の創造性が無意味になると考える人は少ないようです。次のようなコメントが見られます。

・自動車や飛行機が発明されたからと言って、人間が歩いたり走ったりすることをやめたりはしなかった。同じようにAIの音楽も人間の音楽も、AIの便利さを受け取りながら、バランスよく両立していくだろう。

・AIになくて人間にあるのは身体性である。歌ったり、踊ったり、みんなで演奏したりという身体性や参加性の音楽が重要になっていくだろう。

・AIが人間の数十年の経験をはるかに超える創作をするようになると、AIの創作と人間の感受性の乖離を橋渡しして翻訳するような形の創造性を発揮する人が出てくるだろう。形は変われど人間の創造性は働き続ける。

・AIがどれほどすごい音楽を創ったとしても、音楽はそれを聞いて感動する人間がいなければ創造は完成しない。人間の感受性・受け取り方・解釈の幅こそが、人間の創造性の鍵になる。

様々なコメントの中には、音楽生成AIは人間の創造性を奪ってしまうから早く規制した方がいいという方向の意見も少数ながらあるのですが、トータルに見ると、音楽生成AIは人の感受性や創造性を新段階に引き上げるきっかけになるのではないでしょうか。