梁塵秘抄には、平安時代庶民の心情や境遇のありのままが歌として残っているものがあります。
「わが子は十余になりぬらん 巫(こうなぎ)してこそ歩くなれ 田子の浦に潮踏むと いかに海人(あまびと)つどふらん 正し(まさし)とて 問ひみ問はずみ嬲るらん いとをしや」
訳:わが娘はもう十いくつになったでしょう 歩き巫女になってあちこち旅をしているようです 田子の浦の海辺などを歩いていることでしょうよ 漁師たちがたくさん集まってきて あれこれ尋ねながら 若い娘をいい嬲りものにするのでしょうよ かわいそうに
この母自身もまた、歩き巫女として娘と同じような経験をしてきたのでしょうか。次は息子を思う歌。
「わが子ははたちになりぬらん ばくちしてこそ歩くなれ 国々の博党(ばくとう)に さすがに子なれば憎か無し 負かいたまふな 王子の住吉西宮」
訳:わが子は二十歳になったでしょう ばくちをしてやくざ者で流れ歩いているようです 国々のばくち打ちの中に さすがにわが子だから憎かろうはずはありませんから どうか負けさせないで守ってやって下さい 住吉の西宮の神様、王子様
娘を思う歌と息子を思う歌のふたつを読めば、ふたりの子を貧しい境遇から出してやることができない母の無念が思われます。
民衆の境遇がわかる歌には次のようなものもあります。
「彼処(あしこ)に立てるは何人(なにびと)ぞ 稲荷の下の宮の大夫御息子(たいふみむすこ)か 真実(しんじも)の太郎やな にわかに暁の兵士(ひょうじ)につい差されて 残りの衆生たちを平安に守れとて」
訳:あそこに立っているのは誰かな 稲荷の下の宮の大夫の息子かな ああ、やっぱりそうだ、あの家の長男だ 突然朝早くに兵士に召集されたんだ 残るわれらの平安を守れと言われて
ある朝突然に誰彼となく引っ張り出されて兵士として連れて行かれる、そんな庶民の境遇がわかります。世の中に、歩き巫女だの、渡り歩くばくち打ちだの、放浪芸人だの、放浪の法師だのがあふれる理由がわかるようです。定住することが、徴兵や重税の危険しか意味しないとすれば、放浪するしかなかったのでしょう。こういう庶民の様子がそのまま歌となり、権力の頂点の後白河法皇がそれを集めるという不思議。
雰囲気は変わりますが、庶民の心情がわかるこんな歌もあります。
「尼はかくこそ候へど 大安寺の一万法師も伯父ぞかし 甥もあり 東大寺にも修学して子も持たり 雨気の候へば 物も着で参りけり」
訳:(身なりの粗末な尼さんが笑い者になって、むきになって言い返しているという場面) 尼はこんななりをしていても 大安寺の一万法師は私の伯父ですぞ 甥もいますぞ 東大寺で学んでいる子もいますぞ 身なりで人をばかにするでないぞ 雨気で天気が悪くなりそうだから わざと良い着物は着ないできただけじゃ
この歌の主眼はむきになって嘘で言い返す尼さんの滑稽さでしょうが、着るものもない貧しい尼さんが顔を上げて生きて行こうと虚勢を張る姿には胸をつくものがあります。尼さんを笑う者たちも実は尼さんと大同小異の貧しさのような気もします。他者をあざ笑うこともまた同じような虚勢のひとつと思えば、笑う方も哀れを誘います。
こんな庶民の唯一の希望の光が観音様や阿弥陀様や道端の道祖神で、梁塵秘抄にそんな仏教の歌がたくさん集められているのも、庶民の暮らしと表裏一体のことなのかもしれません。