ボディシェアリングの技術を使って、自己と他者(ロボット、アバター、他人)と体験を共有する将来の先には、平行的な生が想定されるそうです。たとえば、自分は陶芸をしている、ロボットは観光している、アバターAは音楽を聴いている、アバターBはスポーツをしている、そして最後にこれらの体験ログを同期することで体験を自己に統合する。
音楽体験ログをデータとして自己に統合するなんていうと、なんて無味乾燥でつまらないことか、音楽はゆっくり時間をかけて楽しむからいいんじゃないか、という疑問も湧きます。
しかし、モーツァルトが作曲するときは1時間にも及ぶ楽曲も完成された形で頭の中に一瞬に鳴り、あとはそれを急いで書き写すだけだった、という逸話があります(ただの都市伝説かもしれません)が、音楽体験ログを自己に統合する瞬間を想像してみれば、そんな感じかもしれません。
仮に膨大な楽曲を一瞬に聞いたモーツァルトになってたみら、その体験は無機質でつまらないというより、一瞬に理解した喜びとか、書き写さないではいられない高揚というような、結構ハイな快感だったのかも。こればかりは実際に体験してみないとわかりませんが…。
音楽を聴く楽しみ、音楽を演奏する楽しみのほかに、音楽の体験ログを一瞬に統合する楽しみという新たな音楽体験が将来にはあるのかもしれません。