ボディシェアリングでは、自分の体ではない他者の体、例えば別の人の手や、ロボットの手や、ヴァーチャルのアバターの手を、まるで自分の手のような体感(身体主体感、身体所有感)を得ながら使い始めます。
内閣府のムーンショット研究開発制度の中には、「2030年までに、ひとつのタスクに対して、1人で10体以上のアバターを、アバター1体の場合と同等の速度、精度で操作できる技術を開発し、その運用等に必要な基盤を整備する」というものがあります。
技術的にこのような未来が可能になると、人の脳機能の限界が問題となってきます。ピアノ演奏で左右の手と足を高速精密に別々に動かせるように、訓練すれば複数のロボットやアバターを同時に操ることをマスターすることは脳に可能なのでしょうか。技術の発展に応じて脳の運動野は発達し始めるかもしれませんが、1人1個の身体という枠組みを超えて、身体主体感・身体所有感の拡張、重複、分離を整理統合していく新しい作業が脳に求められることになります。
このようなことは、音楽でも徐々に起きてくることになるのでしょう。多くの個を自分の中に併存させながら楽器演奏を、同じ手を他者と共有して楽器を演奏したり、手が10本になって楽器を演奏したりと、「想像できる限り」の様々なバリエーションの体験がボディシェアリングによって可能になっていきそうです。社会で普通に実装されてみないと何がどうなるのか想像もできないくらいなので、もしかしたら「想像もできない限り」のバリエーションが起きてくるのかもしれません。個とは何か、人間とは何か、生命とは何かという、思考の基本枠自体が更新されてしまいそうです。
参考 BODYSHARING 玉城絵美著