シャーマンとは、「トランス状態に入って超自然的存在(霊、神霊、精霊、死霊など)と交信する現象を起こすとされる職能・人物のこと」で、日本では、沖縄のユタやノロ、青森のイタコ、アイヌのトゥスクルがその例として挙げられます。
シャーマンが霊と交信する際には、音楽が伴う例が多いようです。例えば次のような動画に、シャーマンの音楽が見られます。
沖縄のユタ 歌って神と通じる 45秒あたりから ↓
沖縄久高島のイザイホー 琉球神道のノロ(祝女)による神歌 19分あたりから
恐山のイタコ 歌で祖霊を呼び出す 2分50秒あたりから ↓
恐山のイタコの口寄せ 歌で祖霊が語る 35秒あたりから↓
津軽 オシラ講における祭文(馬と女性の悲恋から生まれたと言われる神様とつながるオシラ遊ばせ) 2分あたりから ↓
ある文化の中で禁止されたり追いやられたりした古い習俗は、半島や島など、その文化の辺縁部だけに残る傾向があると思うのですが、日本のシャーマニズムもその例にもれず、沖縄と津軽半島にわずかに残って現在もその様子を見ることができます。
1873年(明治6年)1月15日に、明治政府の教部省によって、いわゆる巫女禁断令(梓巫市子並憑祈祷孤下ケ等ノ所業禁止ノ件)が出され、神霊の憑依などによって託宣を得る民間習俗の巫女の行為が全面的に禁止されましたが、この巫女禁断令以前には、各地に様々なシャーマニズムの習俗と音楽が存在したものと思われます。巫女禁断令以後、それらの音楽の多くが消滅したと推測されます。
ちなみにその前年の明治五年には、修験宗廃止令によって、男性シャーマニズムである修験道も規制されており、民間修験宗は天台宗か真言宗に編入されるという形で民間修験の宗派は消滅しました。ここでも古い音楽が消滅したかもしれません。
巫女や修験の民間宗派が消滅することに国民的な抵抗や反対があったという話は検索しても見られません。近代化の波の中にあって、わけのかわらない低俗でおどろおどろしいものはもはや不要、という認識だったのでしょうか。
巫女禁断令にしても修験宗廃止令にしても、正規の法律ですらなく、府や県に対する通達です。それはいわば政府機関内の業務指示書みたいなもの。そんな内輪の文書で信仰も音楽も簡単に消えてしまうというのは考えてみれば恐ろしいことです。激しい弾圧で宗教や音楽が消えてしまうのはもちろん恐ろしいことですが、いつのまにか消されてしまう宗教や音楽というのも、誰にも顧みられない恐ろしさ、さらには多くの人がそれを暗に支持しているという別種の恐ろしさがあります。
気持ち悪いもの、わけのわからないもの、おどろおどろしいものを切り捨てるのは簡単ですが、そういうものが文化の根っこになっていることもあります。切り捨てることの簡単さに危うさがあるように思います。
巫女禁断令(梓巫市子並憑祈祷孤下ケ等ノ所業禁止ノ件)の原文 明治六年
「従来梓巫市子憑祈祷孤下ケ杯ト相唱玉占口寄等之所業ヲ以テ
人民を眩惑セシメ候儀自今一切禁止候条於各地方官此旨相心得
管内取締方厳重可相立候事」修験宗廃止令の原文 明治五年
「修験宗ノ儀、自今被廃止、本山当山羽黒派共従来ノ本寺所轄ノ儘、天台真言ノ両本山へ帰入被 仰付候條、各地方官ニ於テ此旨相心得、管内寺院へ可相達候事」