1879年8月23日にマデイラ島からホノルルへ到着した レーベンスクラグ号(Ravenscrag) は、ウクレレ誕生につながるマデイラの楽器文化を本格的に持ち込んだ人物として、次の人々が乗っていました。
まず、楽器製作者となる3人
・マヌエル・ヌネス(Manuel Nunes, 1843–1922) 家具・木工職人 マデイラのブラギーニャ(マシェーテ)、ラジャンオ(ラジャン)等の楽器を基礎にハワイで楽器製作し、3人の中で最も長く製作を続け、後世の製作者にも技術を伝えた
・アウグスト・ディアス(Augusto Dias, 1842–1915) 家具・木工職人、楽器演奏も得意 現存史料上、ハワイで最も早く確認できる楽器製作者の一人。1884年にはホノルルで「guitar and furniture maker」として営業
・ジョゼ・ド・エスピリト・サント(José do Espírito Santo, 1850–1905) 木工職人 1880年代から楽器を製作し、1895年には3人の中で最も早く広告で明確に「ukulele」を販売した記録がある
この3人は、単にマデイラの楽器をそのままコピーしたのではなく、マシェーテ/ブラギーニャやラジャオンなどのマデイラ系楽器を、ハワイの材料や演奏文化に合わせて変化させ、現在のウクレレにつながる楽器を作りました。ウクレレは、この3人の共同的な発展過程として生まれてきました。ヌネスは後年、自分の楽器に「Inventor of the Ukulele」などと記していましたが、「ヌネス一人が発明した」というより、40年以上にわたって製作を続け、息子レオナルド・ヌネスや、後のカマカ創業者サミュエル・カマカ Sr.などへ製作技術の系譜をつないだことに、ヌネスの特筆すべき重要性があると考えられています。
次にレーベンスクラグ号には、演奏者として次の二人が乗っていました。
・ジョアン・フェルナンデス(João Fernandes, 1854–1923)もともとは配管工だったとされる人物ですが、マデイラの弦楽器を巧みに演奏できました。船がホノルルに到着した際、フェルナンデスは同船の乗客 ジョアン・ゴメス・ダ・シルヴァ(João Gomes da Silva) からブラギーニャ(マシェーテ)を借り、船上あるいは上陸時に歌いながら演奏したと伝えられており、これがハワイでマデイラのブラギーニャ(マシェーテ)が演奏された最初期の象徴的な場面として有名です。
また、船がホノルルに到着後すぐ、マデイラ人たちはホノルルで夜ごと演奏を行っていたことが、1879年9月3日の Hawaiian Gazette紙に掲載され、マデイラ人たちが街頭で演奏して人々を楽しませていると報じられており、マデイラの小型楽器が短期間のうちにハワイ人々の関心を弾いていたことがわかります。
・ ジョアン・ルイス・コレア(João Luiz Correa) 特にエピソードは見つかりませんが、米国議会記録にも、フェルナンデスとこの人が演奏者して記録されています。
なお、上記の製作者の一人ディアスは「製作者」であると同時に、「演奏者」でもありました。マデイラ島時代からギターやマシェーテを弾き、歌も得意だったとされ、のちにはカラカウア王の宮廷でも演奏したと伝えられています。
このように移民船に、ハワイでウクレレが生まれるのに必要な種になる人々が偶然にも(あるいは歴史を織りなす必然であるかのように)、そろって乗っていたということが、後のウクレレの歴史に重要な役割を果たしたわけです。
